「葵?」
心配そうな顔で私を見る遼ちゃんに笑顔を向けた。
「ん、何?私の部屋に行く?」
「いや、そうじゃなくて…」
遼ちゃんに心の中を悟られたくなくて、すぐに部屋へ向かった。
ショックだった。
遼ちゃんの家族のことを知らない自分。
知ってるつもりになってた遼ちゃんの家庭の事情。
胸の中にぽっかりと穴が空いたようだった。
まだまだ知らないことがたくさんあるんだ。
一緒にいた幼い日々の中にも、
離れていた時間の中にも、
今の遼ちゃんにも…。
もっと遼ちゃんのことが知りたい。
遼ちゃんを知って、もっと遼ちゃんのことを好きになりたい。
好きっていう気持ちと比例してショックと焦りが湧いてくる。
どうしてだろう…。
初めは好きでいるだけでよかったのに、遼ちゃんの全てが知りたくなっちゃう。
私、どんどん欲張りになっていくよ。
こんな私、遼ちゃんは重たく感じるよね?
私だったら、きっと重たいって思っちゃうかな…
だけど、やっぱり好きな人のことはどんなことでも知りたいって思っちゃうんだ。
重たい気持ちを遼ちゃんに知られたくなくて明るくふるまった。
「中学校の卒業アルバム見る?遼ちゃんの知ってる先生とか載ってるよ。ね?ほら…」
開いて見せたアルバムには、懐かしい先生や友達がいっぱい写っていた。
「懐かしいね、ついこの前まで通ってた学校なのに」
「葵、俺の話し聞いてくれる?」
遼ちゃんはアルバムではなく、わたしの顔をまっすぐ見ていた。
そう…遼ちゃんに心の中を隠せるわけないんだ。
いつだって私のことをわかってしまう遼ちゃんだもん。
私はアルバムを閉じて小さく頷いた。
「俺の父さん、五年前に再婚したんだ。最初に会わされた時はびっくりしたよ。若くて綺麗な人だったから」
優しく微笑んで話す遼ちゃんから、その人は素敵な人なんだろうなって思った。
「父さんのどこがいいの?って聞いたら、答えられなくて本気で頭を抱えて悩んだんだ。そして『全部かな‥』って答えて、この人となら父さん幸せになるかもって思った。
今では3歳になる弟ができて、賑やかな家族になったよ」
「そうだったんだ…、私なにも知らなくてさっきはちょっとびっくりしちゃった」
「ごめん、もっと早くに言えばよかったよな」
「ううん、いいの。遼ちゃんのこと、これから少しずつ知っていくから」
微笑んだ私に向って遼ちゃんが言ったんだ。
「キスしてもいい?」
遼ちゃん??
面と向って言われると素直になれないよ。
赤くなった顔を隠すように下を向いて言った。
「だめ」
遼ちゃんはそうきたかっていう風に口元に笑みを浮かべて言った。
「葵、キスしたくないの?」
いじわる~~!!
キスしたくないわけないでしょ!
遼ちゃんは私が素直になれないってわかってて言ってるんだ!
こうなったら意地でもキスしないんだから!!
「絶対‥だめ‥」
「それじゃ答えになってないよ?」
どうしてもキスしたくないって言えない自分がいる。
赤くなった私の顔を、遼ちゃんはいじめるように笑って覗き込んだ。
そして、一瞬で私の唇を奪った。
「キスしたくなった?」
「…だめ」
私の言葉をしまい込むように、遼ちゃんがもう一度唇を塞ぐ。
「遼…ちゃん」
遼ちゃんの柔らかい唇が触れる。
そして…遼ちゃんの温かい舌が私の口の中へ入ってきた。
遼ちゃんの舌が、とても優しく…確認するように私の舌を探る。
「葵…好きだよ…」
「う‥ん…」
「キス…したくなった‥?」
「いじわる…」
初めてだった。
体がとろけちゃいそうなくらい熱くて、優しいキス。
私達は何度もキスを重ねた。
ぽっかり空いた胸の穴を埋めるように…。
二人の想いを
伝え合うように…。
青空がどこまでも続く夏休み最後の日。
1週間ぶりにブラバンの相変わらずの顔ぶれが音楽室に集まった。
そこには嶌田部長と麻衣子もいて、三年生が砂山先生のかっこよさを楽しそうに伝えてた。
「俺もかっこよかったこと伝えて下さいよ!」
「あ~、おまえは100年早い!やっぱりあのパートは嶌田部長じゃなきゃ無理だった!」
「ひで~~、俺、頑張ってましたよね!?」
「さ~~」
トロンボーンのメンバーは今までにないくらい明るくなった。
信汰と斎藤先輩のコンビと、呆れた顔で二人の間に入る金田先輩。
嶌田部長と麻衣子はこの3人の変わりように一番驚いてた。
麻衣子に、斎藤先輩が信汰を認めてみんなで協力したことを教えると、
麻衣子は涙を流すくらい喜んだ。
そして『斎藤先輩を好きになって良かった』って言ったんだ。
私も、麻衣子は男を見る目があるって思った。
「ゴホン。ではでは、これから三年生の引退パーティーを始めたいと思います」
新部長になった山崎先輩が、少し照れながら挨拶をした。
「引退と言っても冬には定期演奏会があり、またみんなで演奏できるので、今日は寂しい思いはせずにいっぱい食べて、おもいっきり楽しんじゃいましょう!
では、みなさんグラウンドに移動して下さい」
「グラウンド?」
「どういうことだろうね?いつもはオードブルを注文して音楽室で食べるのに‥」
三年生は不思議そうに顔を見合せてながらグラウンドへ向かった。
グラウンドに行くと、火の当番をしていた砂山先生が立ち上がった。
「おまえら遅いぞ~」
「すみません。先生のかっこよかった姿をみんなで話してたもんだからつい…」
山崎先輩の言葉に悪い気がしなかったようで、砂山先生は黒い炭のついた軍手で鼻を擦った。
「あ、先生真っ黒!」
「あ!?どこだ?ここか?」
相変わらずの砂山先生に、みんなは嘘をついて顔中炭だらけにした。
野球部とサッカー部が休みのグラウンドに、明るい笑い声が空高く響いていた。
「嶌田部長、乾杯の挨拶をお願いします」
嶌田部長はゆっくりと立ち上がり、みんなの顔を見渡した。
「みんな、今日まで未熟な俺に部長をさせてくれてありがとう。これからは、山崎を中心に、もっともっと楽しいブラバンの道を歩んでいって下さい。
それでは、カンパイ!!」
「「「 カンパ~~イ 」」」
お茶とジュースで乾杯して、みんな上機嫌に肉と野菜を焼き始めた。
「まさか焼肉とはね、びっくりだけど嬉しい」
「俺、外で焼肉なんて久しぶりだよ」
三年生の嬉しそうな声が聞こえてくる。
コンクール以来、頼もしくなった山崎先輩が嬉しそうに叫んだ。
「いっぱい食べて下さいね!」
みんなすごく楽しそう。
私と麻衣子は飲み物を渡しに回った。
「先輩、飲み物足りてますか?」
「こっちはまだ大丈夫~!」
「あっ嶌田、俺にお茶ちょうだい」
遠くから斎藤先輩の声が聞こえてきた。
指名された麻衣子は顔を赤くして斎藤先輩の所へ走った。
「は、はい!どうぞ!!」
氷で冷やしたお茶を麻衣子が手渡すと、斎藤先輩が微笑んだ。
「サンキュ…。わっ、嶌田、拭いてから渡せよ!シートに水垂れてるだろ!」
「す‥すみません!」
逃げるように走って戻ってきた麻衣子は、顔を真っ赤にしていた。
「きゃ~~、どうしよう!斎藤先輩の手に触れちゃったよ~!」
私の手を握り必死で興奮した声を抑えて話す麻衣子の手を、私も興奮しながら握った。
「よかったね!斎藤先輩、麻衣子のこと指名してたよ!」
「すごい嬉しい!嬉しすぎるよ~~!」
麻衣子が顔を赤くして喜ぶ姿を見るのは久しぶりだった。
そんな麻衣子が見られて、私も本当に嬉しかったんだ。
飲み物が足りてない所がないか見渡してみると、いろんな光景が目に入った。
お肉ばかり食べてる東先輩の皿に野菜をどっさり乗せる矢野先輩。
みんなのお肉を焼いてあげてる太田先輩。
肩を並べてお茶を注ぎ合ってる林先生と砂山先生。
二年生に囲まれて楽しそうに話してる嶌田部長。
憧れの先輩の話で盛り上がっている女の子たち。
お肉を頬張るまだきゃしゃな体つきの一年生男子。
私に微笑みかける大好きな人…
遼ちゃん。
「葵もこっちに来て食べろよ。肉なくなっちゃうぞ!」
「うん!」
遼ちゃんの隣で焼いてくれたお肉を食べる私。
楽しくて楽しくて、いつまでもずっとこの時が続いてほしいと思う。
大好きな笑顔に囲まれて食べる焼き肉は、忘れられない味になった。
うっすらとオレンジ色の夕焼けが空を染めはじめ、カラスの鳴き声が聞こえてくる。
綺麗な夕焼け。
なのに心が寂しくなるのは、このオレンジ色が時の流れを知らせているからだろう。
本当に三年生が引退しちゃうんだね。
先輩達のこと、絶対に忘れません。
定期演奏会でまた一緒に演奏できることを楽しみにしてますからね。
今まで、本当にありがとうございました…。
オレンジ色の空が、はしゃぐみんなの顔を赤く染めていた。
忘れられない思い出がいっぱいできた夏休みが終わり、
今日から二学期が始まる。
部活で会えなくなった遼ちゃんと私は、今日から一緒に学校へ登校することにしたんだ。
学校までの15分の道のりが幸せな時間。
「今日って朝礼あるんだよね?校長先生の話短ければいいなー」
「今まで10分以内で終わったことないぞ。俺サボっちゃおうかな~」
「え!?遼ちゃんがサボるなら私もサボる!」
「だ~め」
「え~~遼ちゃんだけずる~い!」
私達と同じ制服姿の人がいっぱいいるに、遼ちゃんだけが特別かっこよく見える。
遼ちゃんのサラサラな髪の毛、
右頬の笑窪、
優しい眼差し。
私の大好きがいっぱいあるんだ。