昼食の時間。
家庭科室で作ったカレーを食べながら、麻衣子と信汰に柏木先輩の話をしてた。
信汰はカレーを頬張りながら「よかったね」って。
麻衣子は「うん、うん」って。
私、大好きな福神漬けを入れ忘れるくらい嬉しかったんだ。
カレーを食べながら、幸せを噛み締めた。
遅れて家庭科室に来た遼ちゃんと柏木先輩が、カレーを食べながら何か言い合ってる。
二人の顔が、やっぱり相対的に見えて可笑しい。
私、こっそり笑っちゃった。
兄弟みたいにじゃれ合って楽しそう。
デザートに柏木先輩が差し入れしてくれたアイスを食べてる時、
気づいちゃったんだ。
二つしかなかったミルクのアイス。
ひとつは私の手に。
もうひとつは、
遼ちゃんの口の中に…。
冷たいアイスを食べてるのに、胸の中が熱くなる。
ねえ、遼ちゃん
私、自分は弱いって思ってたけど
本当は強いのかも。
ふられても、こんなに遼ちゃんのことが好きだよ。
こんなに……好きだよ。
「また来るね!みんな頑張って!」
夕方、みんなに手を振り柏木先輩は帰って行った。
なんだか風のような人だった。
みんなの根詰めていた空気を、どこかに吹き飛ばしてくれたみたい。
昨日まで疲れきっていたみんなの顔が和らいでいた。
宿舎の夜は、ドキドキして眠れなかった。
夜の学校。
仲間との生活。
好きな人とひとつ屋根の下。
理由は様々だけど、みんな同じ気持ちだったみたい。
知らず知らず宿舎の外に人が集まりはじめた。
昼間はあんなに暑かったのに、夜の風は少し肌寒い。
私はジャージをはおって麻衣子と階段に座った。
「昼間の小川先輩、様子おかしくなかった?」
「麻衣子もそう思う?どうしたんだろう…」
「葵が柏木先輩に惚れちゃうと思ったんじゃない?」
「まさか!!それは無いね」
そんなことありえない。
だって、私ふられたばっかりだもん。
最近ろくに話もしてないし…。
どんどん距離が広がってるのがわかる。
勢いで告白しそうになったこと
今でも後悔してる。
何も知らなかった最低な私。
結局今も遼ちゃんに甘え続けてる最低な私。
どうすれば遼ちゃんと向き合えるんだろう…。
本当の意味で、強くなれるんだろう…。
本当の強さってなんだろう…。
明日は雨かな。
見上げた夜空は、星がひとつも見えない。
雲間から、うっすらと月の光が見えるだけだった。
合宿2日目は、やっぱり雨だった。
空が暗いとなんだか気分が落ち込んじゃう。
朝食を食べてると、窓から外に知らないバスが止まったのが見えた。
バスから大きな体の男の人たちが降りて来る。
「あの人たち、西山高校のラグビー部だよ。なんかガラ悪そうだね」
「うん」
隣でおにぎりを食べながら麻衣子が教えてくれた。
確かにガラ悪そうに見える。
顎に髭なんかはやしちゃって。
目つきもずっと睨んでるように見える。
お母さんに、見た目で人を判断しちゃいけないって言われてるけど、
あれは誰が見てもガラ悪いよね。
「あ、メトロノーム持って来るの忘れた。悪いけど持って来て」
基礎練習を始めようとした時、遼ちゃんに言われて準備室に取りに来た。
遼ちゃんに『悪い』って謝られるだけで、ちょっと胸がズキッとする。
変だよね。優しく言ってくれただけなのに。
他の人から言われてもなんとも思わないのに、距離を感じる。
溜息をついてメトロノームを手に取り、重い足取りで準備室から出ると、
音楽室に向かう廊下で男の人たちが数人たむろってるが見えた。
あのラグビー部の人たちだ。
あんな所でしゃがみこんで何やってるんだろう。
試合は?雨だから中止になったのかな…。
あの赤いシャツの人、こっち見てる?
一瞬いやな予感がして引き返そうと思ったけど、他に行く方法がなくて歩き続けた。
私の予感は的中した。
赤いシャツを着た人が、私の前を立ち塞がった。
「ここの生徒?俺達試合がなくなって暇してるからちょっと付き合ってよ」
私の肩を容赦なく抱きよせる手から、煙草の臭いがすぐに鼻についた。
「私、部活中ですから」
メトロノームを握り締め、走り出そうとした時
もう一人の男の人が私の手を引っ張った。
「ちょっとくらいいいじゃん」
「やめてください!」
手を振り払おうとすると更に力を入れられる。
「痛い!」
痛みを感じた時、恐怖を感じた。
私の抵抗は空しく、どんどん連れ出されていく。
やだ。
怖いよ。
たすけて!
助けて、遼ちゃん!!
「おせぇよ」
聞こえた…
何度も呼んだ遼ちゃんの声…。
半ベソをかいてる私の目に、遼ちゃんが映った。
遼ちゃん!!
私を掴んだ手の力が抜けた瞬間、とっさに逃げ出し遼ちゃんの陰に隠れた。
「おまえ、俺たちを待たせすぎ」
「だって…」
遼ちゃんはいつもの遼ちゃんで、平然としてる。
そんな遼ちゃんに赤いシャツの男の人が話しかけた。
「遼…?やっぱり遼だよなぁ!」
親しそうに遼ちゃんの肩に腕を回し、笑いかけてる。
遼ちゃん、この人と知り合いなの?
「久しぶりだな」
「遼、ここの学校だったのか」
「ああ」
なんだか和気あいあいって感じになってない?
私、怖くてまだ震えてるのに…。
「俺達、暇しててこの子にちょっと付き合ってもらおうとしてたんだ」
やだ!!
男の人の手が私の肩に触れようとした時、反射的に目をギュっとつぶった。
触れられたはずの肩が何も感じず、そっと目を開くと
遼ちゃんの右手が男の手を掴んで阻止してた。
「こいつ、俺の後輩なんだ」
笑って話してる遼ちゃんの顔の後ろで、
遼ちゃんの左手は、
震える私の手を力強く自分に引き寄せた。
「後輩?じゃあ丁度いいじゃん。ちょっと貸してよ」
「うん、だからね…
俺の後輩に手だすな」
聞いたことのない遼ちゃんの声が廊下に響いた。
低くて、冷たい声。
遼ちゃんはどんな顔をしてるんだろう。
さっきまで笑ってた男の人の顔が急に強張った顔になった。
「てめえ…」
しゃがんでた男の人が遼ちゃんに掴みかかろうとした時、赤いシャツの人が止めに入った。
「やめとけ!こいつはやばい…」
渋々手を引っ込めて、男の人たちは体育館の方へ歩いて行った。
男達の姿が見えなくなっても、冷たい空気が残ってるのを感じる。
今の…なに?
なんだったの……。
震えが止まらない。
あの男の人が言った「やばい」ってなに?
遼ちゃんのこと?
「ほら、行くぞ」
私の頭に乗せた遼ちゃんの手は温かかった。
いつものように優しく笑いかけてくれた遼ちゃんの瞳。
その瞳が、私の顔を見て曇る。
泣きだしそうな私の瞳が、遼ちゃんを見ていた。
違うよ、遼ちゃん。
私、遼ちゃんに怯えてるわけじゃないよ。
あの男の人たちが怖かったの。
遼ちゃんの冷たい声に驚いただけ。
言いたいことがいっぱいあるのに、声が出ない。
遼ちゃんが無理に唇の端を上げて笑った。
遼ちゃんの背中がどんどん離れて行く。
遼ちゃん
遼ちゃん
行かないで。
そんな寂しそうに笑って
ひとりにならないで。
私、好きなんだよ?
遼ちゃんのことが
大好きなんだよ…。
どうして振り向いてくれないの…?
遼ちゃんのわからずや。
遼ちゃんのオタンコナス。
遼ちゃんの
遼ちゃんの
「遼ちゃんのバカーーー!!!」
遼ちゃんは私の声に驚いて振り向いた。
でもね・・
私の方が驚いてるんだよ・・
どうしてバカって言っちゃったんだろう~~!!!
好きって言いたかったのに~!!
遼ちゃんは唖然とした顔でこっちを見てる。
そりゃそうだよね。
助けたのにバカって言われるんだもん。
私、なにやってるんだろう…。
本当…
どうしようもないバカは…私です。
自分の馬鹿さ加減に呆れて涙が出そうになる。
いつも言いたいことが言えない。
伝えられない。
結局困らせてばっかり。
ほら、また困らせてる…。
顔を歪めた遼ちゃんが、ゆっくりとこっちに来る。
やだ…
こんな顔見られたくない。
涙がボロボロおちてきた。
私は何も考えず走りだした。
後ろから遼ちゃんの足音が聞こえてくる。
来ないで!
お願いだから、来ないで!
行き場のない私は、そのまま玄関を飛び出した。
扉を押し開けた瞬間、遼ちゃんの声が聞こえた気がしたけど、かまわず走り続けた。
雨…
空を見上げた瞬間
鋭い光が目の前を走り、地面が揺れるほどの大きな音が響いた。
「きゃ!!」
雷の音で、私はその場にしゃがみこんだ。
「だから言っただろ…」
大きなジャージが私の頭に被さった。
見上げると、雨に打たれながら息を切らせてる遼ちゃんがいた。