「早く抜けて、会いに来るから!」
健太郎は、必死に謝り続けた。
こんなふうに言われたら、許すしかないやんか。
「…わかったよ」
沙代はふてくされた顔で、小さく答えた。
「ほんまに…ごめん」
彼は顔を上げて、表情を崩していく。
「その代わり、日が替わる前に会いに来てや!」
沙代はムスッとしたまま、目を逸らした。
「うん!絶対、守るから!」
健太郎はクシャッとした笑顔を見せて、喜んでいる。
…嬉しそうにしやがって。
断りにくいんじゃなくて、どうせ…走りたいんやろ。
沙代は、そんな彼に惚れてしまった自分に、ため息をつく。
悔しいけど、嫌いになられへん。
なんやかんや言うても、一応…大事にされてるし。
健太郎なしの生活なんか…考えられへん。
「沙代、好きやで」
健太郎は無邪気に、抱きついてくる。
…こんな笑顔を、ほかの女は知らない。
この温もりも、この唇も、全部…あたしだけのもの。
沙代は、彼の体温に包まれながら、幸せを噛みしめていた。
外が暗くなり始めた頃、健太郎は帰る支度をして、沙代の部屋を出た。
「沙代んちの階段、下りにくいねん」
「後ろから蹴ったろかぁ?」
「あほかっ」
2人はじゃれ合いながら、階段を下りていく。
すると、賑やかな声に気付いた沙代の母親が、台所からスタスタと歩いてくる。
「健ちゃん、もう帰るん?」
ひょこっと下から顔を出す母親。
「はい!おじさんが帰ってくる前に、帰った方がええかなと思って」
健太郎はスッと姿勢をただして、ニカッと微笑む。
沙代は後ろで、猫をかぶる彼に呆れていた。
「ほんまになぁ…。お父さんには“良い子やで”って言うてるんやけど」
母親はエプロン姿で苦笑いをしながら、玄関まで見送りに行く。

「ほんま、お前のおばちゃん…ええ人やでなぁ」
外に出ると、健太郎は家の門に手をついて、踏み潰していたカカトを直していく。
「お母さんは、あんたの顔が好みなだけやで」
ミーハーな母親は、健太郎の顔を初めて見たときから、“ちゃん付け”で呼んでいる。
「どうする?俺がおばちゃんに行ったら」
お調子者の彼は、ニヤニヤと笑いかけてくる。
「お父さんに殺されるで」
沙代はシレッと、彼の弱みを口にした。
健太郎は、沙代の父親が苦手。
案の定、彼は目を細めて、苦笑いをした。
うっすらと月を浮かべた空の下で、2人はいつもの別れのキスをする。
「また明日なぁ」
彼は大きく手を振りながら、自分の家へ帰っていった。
「また家にいれたんか?」
帰ってくるなり、不機嫌な顔をする父親。
沙代は聞こえていないふりをして、テレビを眺めていた。
「別に、そこまで悪い子じゃないから…」
お喋りな母親は、健太郎が家に来る度、毎回…父親に律儀にも報告をしている。
「不良のどこが悪くないんや」
その度、父親はしかめっ面で、健太郎の文句を言う。
イライラした沙代は、テレビを消して…立ち上がった。
「いい加減、あんな不良と付き合うのは辞めい!受験あるのに、アホか」
父親は食卓のイスに腰掛けて、リビングを離れようとする彼女を怒鳴りつけていく。
…バタン!!
沙代は、その言葉を跳ね返すかのように、ドアを強く閉めた。

“おやすみ(^_^)愛してんで”
部屋に戻ると、健太郎からのメールが届いていた。
付き合ってから2年半、彼は変わらず愛してくれている。
沙代は、彼にメールを返して、そのままベッドへと向かった。
満たされた気持ちのまま、そっとまぶたを閉じていく。
沙代はしっかりと携帯を握りしめ、眠りについた。
「沙代も見に行くんやろ?」
クリスマスが近づくと、周りの友達は健太郎たちの暴走の話題で盛り上がる。
「あぁ…うん。健太郎が“来て”って言うてるし」
「いいなぁ。あたしも、広也に告ろっかなぁ」
すっかり公認のカップルになっている沙代と健太郎を、羨ましがる明美。
親友の明美は、健太郎の友人に恋をしている。
「良くないよぉ。今年も暴走やから、会うの遅いし」
沙代は頬を膨らませて、愚痴をこぼす。
「でもさぁ、走ってるときカッコイイやん!それに、沙代はめっちゃ想われてるんやから、贅沢やってぇ」
そう言って、明美は明るく笑いかけてくる。
「そうやで!だって健ちゃんさぁ、めっちゃモテるやん?やのに、浮気もせんと、沙代に一筋なんやで」
ブスッとしたままの沙代に、友人の由加もにっこりと微笑んでくる。
沙代は、渋々…コクリと頷いた。
そのとき…
「そうやで!沙代ちゃんは、笠井くんにめっちゃ想われてるんやで!」
沙代の背後から、オカマのような声が聞こえてきた。
「健太郎!」
振り返ると、そこにはニンマリと口元を緩める健太郎の姿。
「びっくりしたぁ!急に現れるんやもん!」
女の子みたいな声を出して…ふざける彼に、明美たちはケラケラと笑いながら話しかける。
「終わった?先生、何て?」
沙代はスクッと立ち上がり、彼に問いかけた。
「おー。髪の色を戻せってことと、学校サボんなって話やった」
久々に学校に来た健太郎は、担任の教師に呼び出され、今まで職員室にいた。
沙代は靴を持ち、明美たちに挨拶をする。
そして、彼と一緒に下校した。
「…お似合いやでなぁ」
2人の後ろ姿を眺め、ポツリとつぶやく明美。
「あの2人は、一緒におって当たり前やもんなぁ。空気みたいなもんやろ」
同じように彼らを見つめる由加も、しみじみと答える。
沙代と健太郎は、学年でも目立つカップル。
そんな2人を、明美と由加は誰よりも応援し、認めていた。
クリスマスイブ当日。
「そろそろ来るんちゃう?」
沙代は、明美と由加との3人で、健太郎たちが走るはずの交差点で集まっていた。
周りには、同じように彼らを待つ…大勢の女の子たち。
…この中に、健太郎を好きな女は、何人おるんやろ。
沙代は、にぎやかに待つ女の子たちを眺め、視線を落とす。
「あ、来た来た来た!!」
平静を装う沙代の隣で、突然、明美が興奮気味に飛び跳ねる。
一斉に、周りの視線も一点に集中する。
すごい爆音と共に、近づいてくる単車の群。
沙代は急いで、健太郎を探し出す。
そして、目の前を通る瞬間、彼の姿が瞳に映る。
風で後ろへ流れる髪に…キラキラした瞳。
普段、一緒にいるときとはまた違う…すがすがしい横顔。
沙代は、彼の魅力に心を奪われ、口を閉じることさえも…忘れていた。
「カッコイイ!!ほんまカッコイイ!!やっぱ、広也が1番カッコイイ!!」
通り過ぎた後、ざわめくギャラリーの中、明美は興奮してまくしたてる。
そんな彼女をながめて、由加はおかしく笑っている。
その隣で、沙代は、健太郎が残した余韻を胸に、嬉しそうに目尻を緩めていた。
「健太郎くん、到着っ!」
それから3時間後、家の前に現れた彼は、普段の無邪気な彼氏に戻っていた。
「…普通に、25日なんですけど」
沙代は目を細めて、彼を睨む。
「もう、沙代ちゃーんっ!!」
スタスタと先を行く彼女を、健太郎は慌てて追いかける。
「ごめんってぇ、沙代ぉ」
先輩の原付を引きずって、機嫌を直そうと追いかけてくる姿に、想われているという実感がわいてくる。
「はいっ」
沙代は背を向けたまま、コートのポケットから、細長い箱を取り出し…手渡した。
突然、目の前に差し出されたプレゼントに、健太郎は目を丸くする。
「ありがとっ」
彼は満面の笑みで、それを手に取った。
「開けてもいい?」
ニンマリと頬を緩める彼に、沙代は素直にうなずく。
健太郎は、その場でリボンを外していく。
箱の中から現れたのは、銀のネックレスと…小さなメッセージカード。
健太郎は、優しい瞳でカードを眺めると、ネックレスをそっと首にかけた。
「…ありがとう。大事にする」
2人の名前が彫られた…そのネックレスを、健太郎の手のひらが柔らかく包み込む。
「じゃあ、俺も」
彼は原付の中から小さな箱を取り出すと、自分でリボンを外しだした。
「ちょっ…なんで自分で開けるんよ!?」
慌てて、プレゼントに手を伸ばす沙代。
健太郎は彼女の腰を引き寄せて、軽く口づけをした。
「いいから、目ぇつぶって」
沙代は、彼の変な行動に顔をしかめながら、言われた通りに目を閉じた。
健太郎は、そっと彼女の左手を取り、ゆっくりと手袋を脱がしていく。
…冷たい彼の手から伝わってくる体温が、胸を苦しくさせる。
「…もういい?」
沙代は、ウズウズしながら問いかけた。
「まーだ」
健太郎は、少し笑みを交えた声でじらしてくる。
すると、冷たい感覚が…左手の薬指をなぞっていく。
「え、健太郎!?」
沙代は、それが何なのか…すぐにわかった。
「メリクリぃ」
驚く彼女に、彼は満足げに耳元でささやく。
「目ぇ、開けても…いい?」
沙代は、嬉しさでいっぱいになる。
「まーだ」
早く見たいのに、健太郎は意地悪を言う。
「なんでよぉ…」
そう言って口を膨らませる沙代に、健太郎は再びキスをする。
…唇が離れると共に、沙代のまぶたも自然に開いていく。
「あ!あかんやん、目ぇ開けたらぁ」
視界に映る健太郎は、すごく優しい顔でケラケラと笑っている。
沙代は、そっと左手を見下ろした。
薬指を飾るのは、可愛いピンク色のダイヤが埋め込まれた…シルバーリング。
…のどの奥に何かが詰まったかのような、息苦しさ。
沙代の瞳に、じんわりと涙が浮かび上がる。
「…ありがとう」
はにかむように笑って、沙代は彼を見上げた。
「ずっと、俺のそばにおってなぁ」
健太郎はそう言って、壊れものをそっと包み込むかのように、沙代を胸の中にうずめて…ささやいた。
…中学最後のクリスマス、沙代は健太郎の腕の中で、最高の幸せを感じていた。
単車に乗っていた彼は、誰よりもまぶしくて、すごくカッコ良かった。
そして、今、こうやって抱きしめてくれる彼は、世界で1番…素敵な恋人。
ずっと、こうしていたい。
沙代は、この幸せが…ずっと続くと思っていた。