頼りなさげな顔をした緒斗くんに微笑んで、向かい合ったもう一つのグランドピアノに腰掛ける。
…"当日" を迎えても、いまだにピアノから離れられない緒斗くんだけど。
私はそんな緒斗くんに対して、心配も不安も、何一つしてないの。
もちろん、私自身にも。
「だって、緒斗くんがいてくれるでしょう?
緒斗くんには、私がいるし」
ポロン、と。
私達の音を鳴らすと、緒斗くんが笑った。
自信たっぷりに笑ってみせた私とは反対に、緒斗くんは苦笑だ。
「それはそうなんだけど。
専門で一緒だった人達もくるんだよ。
プロで活動してる人もいるから…
どうしても、緊張するよ」
緊張を飲み込むように、グランドピアノの上に置いてあったペットボトルに口付ける緒斗くんに、そっかと思う。
忘れてたわけじゃない。
出席名簿にだって、同じ音楽の専門学校の人や、音楽教師、講師、プロ…音楽業界の人の名前が連なっていたし、
今までも、音楽教師という仕事を通して、音楽にも、真剣に向き合ってきた姿をみていたから。…忘れるはずなんてない。
趣味で小学生からピアノを続けていた私とは違って、緒斗くんは "仕事" にしていくと決めた日から今日までずっと、責任と隣り合わせだ。
大好きな音楽と、仕事という責任。
プロフェッショナルという、責任。
「…ねぇ、緒斗くん」
ーだからこそ、"今日" くらいは。