家族のアルバムには、両親とあたしが一緒に写っているものがなかった。ほとんどの写真があたしひとりか、母との写真だ。でも一緒に写っている母も笑っていることはない。むっつりしていて視線をカメラにすら向けていなかった。

 時折混ざる父の写真はどうみてもチンピラで、少ない母とのツーショットなんてチンピラと場末のスナックで働いている売れない情婦にしか見えなかった。
 写真の中のあたしは子供で、何も分からないから当然のように無邪気に笑っている。できるならばこの頃のあたしに教えてあげたい。愛されているのではなく、ただ仕方なく相手されているのだと。

 一枚、また一枚とめくって、あたしは心に刻み込んだ。これが、もう二度と会うこともない、あたしの家族だった人達の顔なんだ、と。
 悲しみに心が押し潰されそうになった。こんな屑みたいな家族でも、あたしはあたたかさを求めていたみたいだ。

 あたしは何を求めていたんだろう。何を求めて左手首を切り、身体を穢し、心を傷つけてきたんだろう。一体、何が欲しかったんだろう。
 アルバムはあっさりと、最後のページに辿り着いた。そのページを見ればあたしは家族を失うんだと思うと、心が悲鳴を上げているのが分かった。

 でもあたしはあたしとしてこれから先を真っ直ぐに歩くんだとしたら、これはどうしても受け止めなければならないことであるはずだ。