アルバムを開くことなんて今まで一度もなかった。卒業アルバムや卒業文集なんかももらっただけで本棚で埃を被っている。

 あたしは写真にいい思い出がなかった。何しろあたしの子供の頃の写真は三歳頃までの分しかない。保育所に入った頃からの写真は、ほとんどない。その頃から母と父は険悪だったみたいで、あたしのことはほとんど祖母に任せっきりだったからだ。

 近くに住んでいた母方の祖母は年金暮らしで、生活していくのがやっとだったはずだ。それでも父や母は、頻繁に祖母に金の無心に行った。祖母はそんな二人を優しく叱りながらも、結局は脅されるように金を奪われていた。

 そんな生活が何年か続き、あたしが小学校に入学してすぐ祖母が死んだ。祖母は年金を担保にした多額の借金があった。そのほとんどが父と母に奪われたであろうことは容易に想像ができた。

 あたしにとって写真は見たくもない嫌なものだった。そんな家族アルバムを開いたのは、自分のルーツを確認したかったからだ。あたしは望まれていない子供だったはずだ。それを確認して、あたしはひとりで生きていく覚悟を決めようと思った。
 ここには居場所がないのだから、あたしはあたしが生きていく場所を見つけなければならない。

 でも、いざとなると身体が芯から冷えていくのが分かった。ひとりで生きていくのがどれだけ孤独で恐ろしいことなのか、実感として分かった。

 ただきっと自由というモノは、そういう恐怖と隣り合わせなのだろう。その覚悟もない人間がひとりで生きていこうなんて、自由を冒涜しているようなものだと思った。