真帆の前を通るときに、“じゃあね”の意味を込めてこっそり手を振ると真帆は片目を器用につむって見せた。


静かな音楽の流れるバーの空間から外に出て、街の喧騒に包まれてから大きく深呼吸。


やっぱりああいう場は疲れるだけだ。

何も話さないで約30分いるだけでこんなに疲れるんじゃ、同じ時間仕事をしていた方がましだと思える。

仕事のことを考えたとたんに彼方の顔が浮かんで、会社で待っていようかななんて乙女な考えが浮かぶ。

ちょうど視界にお弁当屋さんが見えたので、そこで2人分お弁当を買って彼方に差し入れでもしようと、足を進めようとした身体が後ろから伸びてきた手によってそれを止められた。


「待って」


彼方かな、と一瞬よぎった考えはその声によって否定される。

彼方の声じゃない、とガッカリすると同時に厄介なことになりそうだ、と嫌な予感がした。


「沙織さん、だよね? この後暇?」


初めてまともに話すのに最初から名前を呼ぶなんて失礼すぎる。

しかもその呼び方が彼方が会社で私を呼ぶ時と同じだから余計に不快に感じるんだけど、目の前の28歳内科医はそんな私に構わず言葉を続ける。