「忘れてやるから」


私を女として見ていた男は、

教師として生徒を守り、

大人として子供を守ろうとしていた。


自分の心を殺して。

隠しきれずに吐露した心を閉じ込めて。

忘却の彼方に、捨てようと決めて。

それを私が受け入れたら、どうするつもりなんだろう。

彼は、どうするつもりなんだろう。

なにもなかったように笑う私の声を、どこかで聞くのだろうか。

いつか同世代の恋人と私が歩くのを、どこかで見守るのだろうか。


ひっそりと。

静かに。

まるで彼岸花を想う
葉のように。


……なんて。


なんて不器用で、優しい人なんだろう。

切なさと愛しさで、胸が張り裂けそうだった。

嗚呼、好きだ。

私、この人が、好きだ。

全身が叫んでいる。

この人が好きだ。


もう、
引き返せない。


「何を忘れるんですか」


恋い縋るように、私は聞いた。


「何を忘れるの」


私の粘りに苦しめられるように、彼は笑顔を曇らせた。

苦しそうに眉を寄せる姿が健気で、なんだか泣きそうになる。

この人にこんな顔をさせているのは私なんだ。

絞られるような罪悪感と震えるような独占欲が、体内で踊る。


忘れないで。

捨てないで。

私、貴方の隣にいたい。


「……逃がしてやる、と、言ってるんだ」


自分を害としか考えていない彼の精一杯に、思わずその手をとった。

私が触れたことに大げさな程驚いたその人は、信じられないものを見るようにして愕然としている。

握り返してはこないその手に心と力をこめながら、私は再び質問を繰り返した。


「何を、忘れるの」


やっとのことで微笑んだ私を幻のように見つめたあと、先生は決壊が切れたような危なげな瞳をした。

喉で声を殺したような音がし、弾かれるようにその身が私に迫る。

掻き抱くようにして引き寄せられ、その腕に閉じ込められた。

突然の事に洩れそうになった悲鳴は、唇を塞がれ飲みこまれる。


噛みつくように、口づけをされた。

食らうように、唇を奪われた。

激しい愛情表現に、足の力が抜ける。


何度も向きを変え侵入してくる舌と、捕らえるように吸い上げられる唇に、彼の中に燻っていた恋の紅さを教えられた。



「…お前が好きだ」



唇と唇が触れたままの状態で、

やっと、

その言葉が貰えた。