冷たさを孕みはじめた風が、彼の長めの前髪を揺らし、その瞳が微かに細められる。

たったそれだけの事に何故か、この人は今、風と景色を楽しんでいるのではないか、と、そう思った。

この人、楽しいとか思う感情があるのか。

そんな意外性を心の中で驚いていると、彼は彼岸花を見つめたまま細く息を吐いたようだった。


「相思花、か」

「え?」


ぽつりと漏らされた言葉に首を傾げるが、視線はもらえなかった。

会話を成立させたくないのだろうか。

独り言だと主張したいのだろうか。

どちらにしても立ち入り禁止の一線を引かれたようで、胸の奥が少しだけツキリと痛んだ。


やっぱり、苦手だ、この先生。


そう、考えを改めた時だった。

再び彼が口を開いた。


「彼岸花の異名だ。この花は秋に花を咲かせ冬に葉だけを茂らせる。この事から、花は葉を想い葉は花を想うといわれ、韓国では『サンチョ(相思花)』と呼ばれている」


正直、驚いた。


現国らしい雑学に感心したというより、この人からそんなロマンティックな逸話が飛び出した事に驚いた。

色恋など、たとえ神話の中でも興味がなさそうな人なのに、そんな逸話を知っていたばかりか口に出して教えてくれるなんて。


「秋に相応しい、悲恋だな」


ぽかんとして言葉を失っている私をちらりとだけ見て、先生は歩き出してしまう。

画用紙に日が戻り、遮断されていた空気が流れる。

心細いような、寂しいような、不思議な気持ちになった。


話し、かけられた、のだろうか。

やはり、あれは。


なんだったのだろう、一体。


無意識にその背を見送っていると、ふと歩を止めて振り返られた。


目が、合う。


悪い事をしていたわけでもないのに妙にドキリとすると、まるで秋の風を受け彼岸花を見つめていたときのように瞳を細められる。

にこりともしない筈の唇が、少しだけほころんだような気が、した。



「風邪をひくなよ。――――岡野」



心臓が、


はねた。