秋の見事な彼岸花の群生を画用紙におさめろ、と、芸術の秋に浮かされた美術教師達が企画した遠足に高校生にもなって参加する羽目になった。

全学年強制参加という横暴ぶりに皆かなり愚痴をもらしていたが、そこは若さ。

現場に着くなりそれぞれ楽しみはじめる。

お喋りなどに参加しても良かったのだが、個人的に一番好きな花が彼岸花という事もあり、私は写生に集中する事を選んだ。

喧騒から離れ、気にいったポイントを探し腰を下ろす。

紅い地平が、圧倒的な迫力で秋を揺らしていた。

お彼岸の頃開花する花が故、この花は彼岸花と呼ばれる。

また、梵語で曼珠沙華といい、『天上の花』の意味を持つ。

まさに現の地上とは俄かに信じ難い美しさで咲き誇るその姿にため息が出た。

単身でも孤高の美を保つその花は凛として潔い。

シンプルなのに複雑な花の形は紅という色も手伝ってとても情熱的なのに、茎の直立さが温度を感じさせなくする。

決して押しつけがましくないのに、寧ろどこか突き放すような冷たさを持っているのに、心を攫われる。


まるで、どうしようにも止められない恋情の化身のようだ。


そんな事を思いながら、鉛筆を動かしていると、ふと画用紙に日陰ができた。

陰を追って視線を移動させると、そこに現国の教師がいた。

無表情に近い静かな顔で、彼岸花の群生を見ながら立っている。

すらりとした長身を見上げながら、何故この人は私の隣に来て立ち止まったのだろうと訝しんだ。


その人は、人の名を覚えない事で有名だった。


指名するときは席番号で呼び、廊下などでは『そこの』とか『おい』とか『お前』で済ませる。

名前を覚えるのが苦手なのではなく、多分面倒なのだと生徒全員が知っていた。

彼は生徒に執着がなかった。

生徒だけでなく、誰にも執着がないようだった。

人間が嫌いなわけではなさそうなのに、どこか人を寄せ付けないものをいつも纏っていた。

現国の教師らしくいつも小難しい文学を読んではいるが、ちっとも楽しそうな時がなかった。


愛想笑いすらしないこの教師が、私は少し苦手だ。


騒がしさや団体行動を嫌う感がある人なのに、全校生徒総動員のイベントに、教師という立場上参加させられたのだろう。

いつも不機嫌な顔がいつも以上に不機嫌なのではないかと思ったが、意外にもそんな表情はしていない様だった。