「葵、何食べたい?」
「ん、何でも」
 大きくあくびをしながら、猫背の背中を無理やり伸ばし続けている。
「また何でもいいの?」
返事の代わりに首をこくんと上下させている。ほぼ毎日、食事の準備の時に葵はこんな感じに『何でも』と言う。
「でた。いつもの何でも」
「よろしくお願いします」
 ぺこりともう一度頭を下げるので、少し可笑しかった。何でもいいが一番困るのだけれど、形だけのため息を付き、頭の中で葵が喜びそうな献立を腕組しながら考えた。
山梨の実家から送られて来たジャガイモが大量にあるし、冷凍庫に作り置きのハンバーグも丁度二つ眠っている。
今日はレモン仕立てのポテトサラダと、ハンバーグを焼こう。マヨネーズを少なくして、レモン汁を多めに掛けると、さっぱりした後味になるし、ハンバーグにはトマトの和風ソースを作れば完璧。汁ものはキャベツのお味噌汁。後、葵に内緒で昨晩作って置いたプリンもある。
私は葵に弱い。木目の優しい味わいが気にいっている食器棚の中には、いつからか葵専用のものが出来ていた。
ベランダにだらんと足を延ばしている葵に目を向ける。大家さんちの、これまた目付きの悪い三毛猫が、隣で丸くなっていた。
いつだったか、葵が猫と仲良くお喋りしているのを見た事がある。ちゃんと、言葉が通じているのだと思ったことがある。
葵が片手で猫を撫でながら、鼻歌を奏でているのが台所にまで届く。時よりゴロゴロゴロっと猫が喉を鳴らしている。夕方の優しい風と一緒に運ばれてくる鼻歌は、じんわりと汗ばんでいる私の身体をすっと覆った。
いつも葵はなにか歌っている。本当にそれは「何か」で、私は何のメロディーなのかも分からなかったし、何となくそれを聞くのが習慣にもなっていた。
ジャガイモを茹でている間に、キャベツを切って、沸騰しているミルクパンの中に入れる。
二人分のお味噌汁作りには、この鍋のサイズが丁度合っている。商店街の金物やで購入したこの鍋は、二人分のお味噌汁と、二人分のホットミルクを作るのに、とても重宝していた。
フォークで潰したジャガイモにマヨネーズ適量、レモンを絞りいれ、冷凍しているパセリと混ぜ合わせてポテトサラダは完成。
 続けて冷凍のハンバーグをオリーブオイルで焼くと、鼻をくすぐる香ばしい匂いがたちまち広がった。実家にいたころ、母は決して料理上手ではなかったが、何故かハンバーグだけは美味しかった。懐かしい夕飯時の香りが立ち込める。