ぐっと手を引かれて、そのままの体勢で私の身体は葵の腕の中に入っていた。真夏に降り注ぐぎらついた日差しを器用にかき分けながら、涼を届けてくれる風のような色をした、優しいメロディが聞こえてくる。ゆらゆらと、心地よく身体が左右に揺れる。
 数分間、私の身体は穏やかな空気に包まれていた。
「葵、ありがとう」
葵の腕から身を起こし、急いで顔を洗ってから簡単に化粧をした。葵が淹れてくれたコーヒーをいっきに喉に流し込み、昨日とは違う踵の低いパンプスを履いて、いつもの電車に飛び乗ることが出来た。
 まさか自分があんな事を言ってしまうなんて。一息付いてから思い返す。葵を少しでも遠く感じてしまう事が、ひどく哀しかった。一年前に、本当に自然に私の部屋に住みだした葵。そんな彼がどこかに行ってしまうなんて、今まで考え込んだ事は一度もなかった。どこかへ行ってしまうのかもしれないと思うと、キリがなかった。離れて行くのは、こんなにも不自然で、こんなにも哀しいのか。
後ろめたい感情が、また身体のどこかに溜まって行く。
動悸が心と重なり、爪の先まで痛かった。