今朝は葵の朝食用に、オムレツを焼いて冷蔵庫の中に入れておいた。ツナも入れて、チーズなんかも入れてあげた。だから葵がお腹を空かせて目を覚ましても、冷蔵庫を開ければ大丈夫。一応、簡単なものだが作れるような食材は、いつも常備してある。出来るだけ今日の残業を早く済ませれば、葵が退屈に待っていることもなくなる。
「あおいー、じゃあ行ってくるねー」
 玄関先でまだ夢の中の葵にも聞こえるように、声を張らせてから、先週ビームスで一目惚して購入した紺のパンプスを履き、仕事へ出かける。 ほんの数秒玄関で返事を待ってみたが、今日は何も返ってこなかった。いつもなら私の問いかけに、寝ぼけながらのこごった声でも返事をしてくれるのに。
「まぁ、遅くなるって言っておいたし大丈夫でしょう」
 今日は空が高く、朝の空気はまだ熱を込もしていない。葵のように透明な風が素足に纏わりつくと、今も隣で彼が何か口ずさんでいる気がする。
阿佐ヶ谷駅の階段を上がると、履いていたパンプスはコツッコツッと高らかに鳴っている。その音は仕事へと向かうスイッチになった。心地良い風が背中を押す。この追い風が好きで、私は阿佐ヶ谷に住む事を選んだ。
いつも空いている駅前のスターバックスも、葵のために作るご飯の食材を調達するのにとても助かっている西友も、私にとってお気に入りの場所だった。以前、私のために葵がケーキを買ってきてくれた洋菓子店も、夜の散歩をするのにぴったりの路地裏も、とても気に入っている。
 渦巻く風と一緒に、黄色の電車が迎えに来た。
新宿に向かう総武線の中はまるで熱帯夜のような蒸し暑さだった。毎朝こんな電車にもみくちゃにされている。そしてもみくちゃにされて帰る。