フローリングの上で完全に眠り込んでしまったミサキに、あっちゃんは普段自分が使っているタオルケットをかけ、私に話しかけてきた。
「2人とも、本当にありがとう。
ユナと俺のためにここまでしてくれて……。
今すぐは無理だけど、お金は必ず返すから」
ここに来るまでの間、私とミサキはそれぞれがもらった一週間分のバイト代を、封筒のままあっちゃんに渡していた。
1日4時間しか働いてないのに8万ももらえたのには驚いたけど、ミサキの分も合わせたら16万。
あっちゃんの少ない貯金を出さなくても良くなるから、本当に良かった。
大変ではあったけど、あれはあれで貴重な体験だったし、目標達成できたから満足だ。
「でも、これは多いよ」
あっちゃんは、キッチリ半額の8万を私に返してきた。
「残りは絶対、時間かかっても返すから。
みいちゃんとなっちゃんが頑張って働いたお金だもん。
だからこれは受け取って?」
「あっちゃん……」
その方があっちゃんの気が楽になるというなら……。
「わかった、これは受け取っとく。
でも、そっちのお金は返さなくていいから。
私たち、全部あっちゃんにあげるつもりで働いてたんだよ。
マナツをちゃんと追い払うためだもん。
お金も貸し借りするつもりなかったし、そういうのはどうでもいいの」
あっちゃんは目の潤みをごまかすように笑った。
「俺ってさ、こんなんだから、ずっとまともな友達なんてできないって思ってた……。
父親もろくでなしだしさ。
家の中はいつも殺伐としてて、そんな中気を許せるのは母さんと妹だけで。
高校の時も、家のことを知ってるクラスのヤツらにいろいろ言われて、誰に対しても警戒してた。
他人なんて何も分かってくれないって思ったし。
新しい環境で一からスタートしたいと思って遠くの大学に来たけど、男は気取ったヤツばっかで、初日からダメだった。
やっぱ俺には、友達作るなんて無理かもーってあきらめててさ」
その気持ちわかるよ。
私とミサキもこの大学の生徒の雰囲気には、ついていけなかった。
「入る大学間違えたかなって悩んで、本気で他の大学への編入も考えてたんだ。
こんなままじゃ新しい自分にはなれないって焦って。
そんな時に、車校でなっちゃんとみいちゃんを見かけた……。
2人は仲良くて、キラキラしてて、うらやましかった。俺にはそんな同性の友達いないから……。
まさか2人が同じ大学の子だったなんて思わなかったけど、初めて話した時嬉しかった」
泣きそうな顔になっているあっちゃんに、私はゆっくり言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「私たちも、あっちゃんと知り合えて良かった。
あっちゃんは、もう一人じゃないよ。
私にとってミサキは大事な友達だけど、あっちゃんだって、ミサキとは比べられないくらい大切な友達なんだよ」
「バイトの休憩中に、ミサキと話してたんだ。
マナツにお金取られてあっちゃんが食費に困るようなことがあったら、うちらがここまでご飯作りに来ようって。
料理なんてあんまやったことないから、全然自信ないんだけどさ」
「それ、嬉しい……」
はにかむあっちゃんの目には、涙があふれていた。
あたたかい気持ちになる。
きっと、私が想像する以上に、あっちゃんはつらい目にあってきたのかもしれない。
私たちに話した家庭の事情は、そのうちのほんの一部でしかないのかもしれない。
でもね、過去は過去だと思うんだ。
未来はどれだけでも変えていけるはずなんだ。
今日孤独でも、一ヶ月後には隣に誰かがいるかもしれない。
高校の時、同じクラスの誰かが言ってた。
「男女の間で友情が芽生えるなんてありえない」って。
「性別が違う以上、いつ何が起こるか分からない」って。
でもね、あっちゃんとのこの関係は、恋愛感情から成り立つものじゃないって自信を持って言える。
友情という絆でしっかり繋がっているんだ。
現に、ユナちゃんに嫉妬心が湧かないのがいい証拠。
成人式を迎えても、
大学を卒業しても、
きっと私たち3人の関係は変わらないよ。
いい意味で、ね。
その夜、結局ミサキは目を覚まさなくて、私もあっちゃんと話しているうちに眠ってしまったようだ。
たしかな友情を感じて目を覚ました、幸せな朝。
カーテン越しに窓からさす朝日のまぶしさで、あっちゃんのアパートに泊まってしまったのだと気付いた。
あっちゃんは私とミサキにタオルケットをかけ、自分はベッドにもたれるように座って眠りについていた。
あっちゃんの彼女であるユナちゃんに無遠慮な行動だったかもしれない。
彼女のいる男友達の家で寝てしまうなんて、無神経だったかもしれないと思わなくもない。
でもね、胸をはっていえるよ。
私たちは、性別を超えた友情を築いているって。
誰に何と言われても……。
ユナちゃんの元カレ·マナツが満足するだろう金額を用意できた私たち。
目を覚ましたあっちゃんは、何度も謝り、現金の入った封筒をマナツに渡しに行った。
私たちがキャバでバイトしている間、マナツは再びあっちゃんが働いてるコンビニに現れたらしく、彼らはその時に待ち合わせ場所と日時を決めたようだ。
「マナツ、引き下がってくれるかな?
うまくいくといいね。ユナちゃんとあっちゃん……」
「大丈夫だよ。あんだけお金渡すんだから」
あっちゃんがマナツに会いに行った後、
私とミサキはあっちゃん宅を出て、ファーストフード店にいた。
先行きが心配で気が気じゃない私とは正反対で、ミサキはケロッとしている。
「マナツはお金さえ受け取れば、もうユナには手出しできないでしょ。
そーゆう約束だし~」
ノンキにそう言い、ミサキは朝ごはんのハッシュドポテトを口にする。
「……だよね」
マナツの第一印象に好感が持てなかったせいか、私はなぜだかモヤモヤしていたけど、考えすぎも良くないよね。
マイナスに考えてたら、良くなるものも悪くなってしまうかもしれない。
あっちゃんも私たちも頑張ったんだから、と、良い展開になることを願った。
その日の午後。
一旦家に帰ろうと駅に向かっていた私とミサキの元に、カラッと笑顔のあっちゃんがやってきた。
私たちの行動範囲を知っていてくれるようで、迷わずここに来たみたいだ。
ずっと走ってきたのか、肩で息をしている。
「マナツ、わかってくれたよ!
もう、ユナには会わないって!!」
あっちゃんがそう口にするのを聞いて、私とミサキは目を見合わせた。
あっちゃんもマナツに会うまでは、不安でいっぱいだったに違いない。
でも、それももう終わりなんだね。
「これで心おきなく、ユナとイチャつけるじゃん」
ニヤニヤ顔でからかうミサキに、あっちゃんはゆるまった頬を赤く染める。
「ありがとう。これも、みいちゃんとなっちゃんのおかげだよ」
「今度こそ、ユナちゃんと幸せにね!」
そう言う私の目には、ちょっとだけ涙がにじんだ。
よかった。
よかった。
もう、ユナちゃんとあっちゃんの恋を邪魔する人はいなくなった。
あっちゃんが幸せになるんだと思うと、結婚式で娘を見守る父親のような気分になった。
この数日後、
全てが無になるなんて、誰が予想できただろう。
あっちゃんがユナちゃんと約束してた京都旅行も、
マナツに渡したあっちゃんの誠意も、
夏の終わりが近づくのと同じはやさで、
消えようとしていたのかな――。
「あ~あ。あっちゃんいないとつまんないね」
いま見た映画のパンフレットをうちわ代わりにしているミサキが、だるそうにつぶやいた。
あっちゃんがマナツと決着をつけた一週間後、
私とミサキは市内で1番大きなアミューズメント施設に来ていた。
ボーリング場やゲーセン、銭湯、映画館が併設されている。
まだ昼間だから、小学生や中学生の団体もたくさんいる。
子供会の行事で来ているのかな?
夏休みも残りわずか。
ヒマを持て余した私とミサキは、映画を見にここまで来たんだけど、
目当ての映画は予告映像を見て期待したほど面白くなく、2人して微妙なテンションになってしまう。
ううん。映画のせいじゃない。
予告の雰囲気と実際の内容が違うなんて、映画にはよくある。
ここにあっちゃんがいないことが、つまらなさに拍車をかけているんだ。
あっちゃんは感受性豊かだから、私たちがつまらないと感じた話でも面白いと思うらしく、その映画の良さを細かく教えてくれる。
価値観の違う友達と映画に行くと、いろんな楽しみを知れる。
知り合ったばかりの頃、私たち3人は金曜日の夜を狙ってよく映画を見に行っていた。
思い出して、なんだか切なくなる。
この先私に彼氏ができても、私たち3人の関係は変わらない。変えたくない。
でも、あっちゃんにとってユナちゃんとの時間が大切なら、それを尊重するのも私とミサキの役目なんだ。
わかってるけど、やっぱり少し寂しいな。
「そーだ! あっちゃんって、今日の夜は駅前の居酒屋でバイトする日じゃない?
行ってみようよ!」
ミサキの思いつきで、夜、あっちゃんに会いに行くことにした。
あっちゃんは夏休み中、いろんなバイトを掛け持ちすると言ってた。
アミューズメント施設のシックな出入口を抜けようとした時、私たちと入れ違うかのように店内に向かう1つのカップルがいた。
まじまじ顔を見るのも抵抗あるから、うつむいてすれ違う。
すれ違った後、まるで磁力で引き寄せられたかのように何気なくその人達の方に振り返る。
男の後ろ姿がマナツに似ている気がした。
隣にいる小柄な女の子の肩を抱いて歩いてる……。
マナツにも、新しい彼女ができたのかな?
顔は見えなかったし、マナツに似ているだけの別人かもしれない。
ひそかにマナツの幸せも願う。
あっちゃんとユナちゃんの問題が解決したことで、今の私にはそれだけ心の余裕があるんだな。
「ナルミー、いこー?」
立ち止まって後ろを向いてる私に、先に外に出ていたミサキが声をかけてくる。
「ああ、ごめんごめん!」
この時、マナツらしき男が連れていた女が誰だったのかなんて、私たちには気付けるはずがなかった。