ミサキはスッと立ち上がり、泣きそうな目をした。
くっきり二重の綺麗なその瞳には、失望の色が見て取れる。
私は座ったままミサキを見上げていた。
「中立は嫌われるよ……」とつぶやいたミサキの姿が、扉の向こうに消えるまで……。
ショック。
悲しみ。
悔しさ。
どれでもない。
ただ、「ああ、分かってもらえなかったんだな」って現実だけが漂っていた。
ミサキがいなくなった部屋は夜の薄暗さに染められていて、冷たかった麦茶もぬるくなっている。
中立は嫌われる、か……。
そんなつもりナイと言いながら、ミサキや周りの人から見た私はそんな位置にいたんだろうな……。
私にだって嫌いな人はいるけど、その人の悪口を言ったりわざわざ攻撃したりはしない。
時間の無駄だと思うから。
というか、嫌いな人とは深く関わる気が起きないっていうの?
良くも悪くも無関心になるんだ。
高校の時、放課後教室でグループの子と話してる最中にそう言ったら、「クールなAB型らしい考え方だね」って、みんなに笑われたっけ。
血液型占いなんて、結局自己暗示なんだと思うよって正直な気持ちを口にしたら、もっと大笑いされた。
「正真正銘、ナルミはAB型だね! ドライだ」って。
女子って生き物をひとくくりにするつもりはないけど(友達いわく、私のような男的な女もいるしね)、
たいがいの女の子ってのは、気に入らない人を仲間ハズレにしたり冷たい態度で打ちのめさなければ気が済まないモンなのかな、と、客観視してみる。
ミサキも例外ではないだろうな。
多分、大多数の女子的思考に、ミサキはすっぽり当てはまる。
私の記憶力は人並みだと思うけど、ミサキからどれだけのグチを聞いたのか、事細かに覚えてはいられないほどだ。
あっちゃんが想いを寄せているユナちゃんのことも、毛嫌いしていたしな……。
私とミサキでは、嫌いな人に対する接し方が違うだけ。
苦手な人の種類が違うだけ。
あっちゃんのことが原因でこんな大きな揉め事に発展するなんて、まいったな……。
「中立は嫌われるよ」というミサキの言葉は、意外にも私の心の奥深くまで突き刺さっていた。
じんじん痛んで、熱すら出してしまいそうだ。
私の考え方が100パーセント正しいなんてちっとも思っちゃいないけど、こんな状態は悲しすぎる。
ミサキは多分、今はまともに話できるような感じじゃないから、まず、あっちゃんに会わなきゃ。
あっちゃんも、ミサキから絶交をにおわすメールを送られてパニクってるに違いない。
それに、あっちゃんとユナちゃんの間に何があったのか、知りたい。
とにかく、会わなきゃ……。
光が差し込まなくなった夜の自室に手早くカーテンをかけ、バッグをつかむと私は外に出た。
むわっとした空気とセミの鳴き声に包まれ夏を体感する。
バッグの中のケータイを手にし、ディスプレイを見ながら行く先の宛てもなくとりあえず歩を進めた。
マナーモードにしていて気づかなかったが、あっちゃんから大量の着信がきている。
着信履歴12件、全部、三上アマネから。
早くも流れる額の汗を不快に感じながら、すぐさま電話をかけ直す。
あっちゃんが好きだと言ってた流行りのポップスが、耳元で明るく弾けた。
それを聴きながら、ミサキの話を思い出す。
あっちゃん、いま、1人かな?
ユナちゃんと一緒にいたとしても、もう別れてる頃だよね?
だからこっちに電話してこれたんだよね?
でも、もしあっちゃんのそばにユナちゃんが居たら気まずい。
やっぱりあっちゃんからかかってくるまで、こっちから電話するのはやめとこうと通話ボタンを切ろうとした瞬間、
『なっちゃん! やっとつながったぁ!!』
と、空気が抜けた炭酸飲料みたいにフニャッとしたあっちゃんの声が聞こえた。
「ごめんごめん! いま気づいた!
あっちゃん、いま1人?
これから会える?」
『うん! 俺もなっちゃんに会いたかったんだ!』
30分後、駅前のファミレスであっちゃんと会った。
昨日、ミサキと一緒にあっちゃんがバイトしてるコンビニに遊びに行ったから久しぶりってわけでもないのに、あっちゃんとは長い間顔を合わせていなかったような懐かしさを感じてしまう。
先に店に着き窓際の席に座っていたあっちゃんは、来店した私に見えるように大きく手を振り「こっちこっち!」と、呼びかけてくる。
いつもと変わらないあっちゃんの穏やかな顔を目にして、ミサキから聞いたユナちゃんの話を忘れそうになるほどホッとした。
とっくに夕食の時間だというのに、気分的に食欲の湧かなかった私たちは、フライドポテトとドリンクバーだけを注文し、それを適当に口にしつつ話を進めた。
あっちゃんは肩を落とし、
「とうとう、みいちゃんに嫌われちゃったな……」
「ミサキも、冷静になれば分かってくれるよ……。
昼間、ユナちゃんと会ってたんだって?」
ユナちゃんとあっちゃんの間に起きたことを、ためらいがちに訊(き)いた。
「バイト終わったあと、ユナから電話かかってきてさ……」
あっちゃんは、昼間ユナちゃんとの間にあったことを話し出した。
ユナちゃんはいつものように、彼氏とケンカして荒れていたらしい。
なだめるあっちゃんに甘え、ぐしぐし泣いていたそうだ。
「今回のケンカはいつもとちょっと違ってさ……。
彼氏はユナに内緒で女と会ってたみたいで……」
「そっか……。それじゃあユナちゃんも不安になるよね……」
「うん。ユナがどれだけ問いつめても、彼氏は本当のこと何も言わなかったって……」
最近、ケンカが絶えないユナちゃんとその彼氏。
泣き止まないユナちゃんにしびれを切らせた彼氏は、ユナちゃんにそっけない態度を取るようになったそうだ。
そうしてさらに、2人の溝は深まってしまった。
彼氏と和解できず暴走したユナちゃんは、あっちゃんに連絡。
「あんなヤツもう知らない!!」と、ヤケになり、あっちゃんをラブホに連れ込んだそうだ。
ミサキはそれを目撃しちゃったわけか……。
でもあっちゃんは、ユナちゃんとラブホに行きながら、ユナちゃんとは何もしていないと言った。
「……本当に?」
ミサキに絶交された手前、ウソをついているんじゃないかと思い、あっちゃんの目をジッと見つめた。
あっちゃんは揺るぎない視線で私を見つめ返しけろりと言う。
「彼氏のことで意地になってそうしたって分かってたし、さすがにそんな状況で手は出せないよ。
ユナとそんなトコ行って、ムラッとしなかったって言ったらウソになるけど。理性で我慢したっ」
何かをふっ切るように明るく言ってるけど、あっちゃんはどこか寂しそう。
「……私はそういう経験ないから、よくわかんないけどさ。
あっちゃんが傷ついてないみたいで、よかった」
あっちゃんは目を見張り、
「……なっちゃんは優しいね。
今、なっちゃんと話せてよかった」
と、頬を緩める。
面と向かってそんな褒められたら恥ずかしいだろっ。
「……でも、ミサキのこと……。
私じゃ何ともできなかった……」
照れ隠しと本題に移るため、ミサキのことを口にした。
「まさか、みいちゃんに見られてたなんてな……」
あっちゃんは、空になったグラスを両手で挟んでクルクル回し、眉間にシワを寄せる。
ユナちゃんとあっちゃんの間には何もなかったと言っても、今のミサキは信じてくれないだろうな……。
あっちゃんは心もとない表情で、
「ごめんな。俺のことで、なっちゃんとみいちゃんの仲までおかしくなっちゃうなんて……。
みいちゃんに絶交されたこともショックだけど、2人は幼なじみなんだよね……。
2人が仲直りできるように、できることは協力するから。
本当に、ごめん……」
あっちゃんは、ミサキに縁を切られたことより、私とミサキが仲たがいしたことを気に病んでいる。
「あっちゃんのせいじゃないよ。
私が悪いんだ。今まで、ミサキの気持ちを考えてあげられなかったから。
ミサキのこと考えてるつもりだったけど、結局は自分の意見を大事にしてただけ。
嫌われて当然……」
私はわざと歯を見せるように笑い、グラスに半分残っていたコーラを一気に飲み干した。
あっちゃんは手にしていたグラスをテーブルに戻し、前のめりになった。
人の話を聞こうとしている時の、あっちゃんのクセ……。
あっちゃんを励ましたくてここに来たのに、あっちゃんは私の話を聞こうとしてくれてるんだね……。ありがとう。
さっきミサキとの間にあったことを、かいつまんで話すことにした。
あっちゃんを味方につけるとかミサキのグチを言って発散したいなんて気は全くナイけど、口に出すたび、心が軽くなってゆく。
「うんうん」と相槌(あいづち)を打ちつつ、全てを聞き終えたあっちゃんは、バッサリ言い放った。
「それってどれも、なっちゃんは悪くないよ。
みいちゃんのワガママ」
「ミサキの、ワガママ……?」
キョトンとする私に、
「うん、そう。みいちゃんはなっちゃんに甘えてるんだよ」
と、あっちゃんは自信たっぷりに言った。
たしかに、ミサキには何かと甘えられているような気はするけど……。