最初の受診から2週間後、2度目の妊婦健診で赤ちゃんの姿と心拍を確認することができた。

赤ちゃんの姿と言っても先日見えた胎嚢が少し膨らみ、その中に蚕の繭のような白い物体が現れたといった感じでまだまだ人間の姿には程遠い。

だがその繭の中心に、心臓の鼓動がはっきりと見える。

トクントクンと素早いリズムを刻んで点滅しているようだ。

診察室に戻るとトナカイ先生はおめでとうございますと微笑み、マタニティライフの過ごし方についての冊子を差し出した。

ここで初めて、めでたく「懐妊」となった訳だ。

翌日会社の上司に子が出来たことを伝え、朝の出勤時刻を1時間遅らせてもらえることになった。

体調が悪くなければこんなに早い段階で知らせるつもりは無かったが、このつわりでは仕方ない。

ありがたい配慮で、朝の通勤ラッシュは避けられることになった。

毎朝胸のムカつきを堪えながら起き上がり、何とか大丈夫そうなら気合いを入れて支度を始め、今日は無理そうだと判断したら会社に連絡を入れてお休みをもらう。

そんな日が続いた。

3月11日金曜日。

今日は何とか大丈夫そうな日と判断した私はいつも通り1時間遅れで出社した。

そして午後2時46分に、地震が発生。

私が働くフロアは地上30階。

今までに経験したことのない激しい横揺れと恐怖で、とてもその場に立っていられなかった。

赤ちゃん!

私は床に這いつくばるようにしてしゃがみ込みながら揺れに耐える中、小さな赤ちゃんのことが気になって言いようのない不安に襲われた。

首都圏の交通網は全てマヒ。

まんまと帰宅困難者となった私はその日会社の医務室に泊まり、翌朝帰宅した。

夫は夜のうちに歩いて帰宅したが、やはり気が気じゃなかったようで、改札から出てきた私の顔を見てほっと胸を撫で下ろしたらしい。

その後スーパーやコンビニは品薄状態となりさらには原発事故の報道等により不安が加速し、ただでさえつわりで偏食が続いていた私はますます食べられる食事が少なくなってしまった。

もちろん、私なんかよりもっともっと苦労している人たちはたくさんいる。

だけどこの年、初めての妊娠と重なったこの震災は本当に忘れられない出来事になった。