「ゴメンなさい・・・」
「たくっ」
トーマは私に背を向けて、肘掛け椅子の背凭れに掛けておいた上着を手に取った。
背を向けるトーマに私はお名残惜しく、抱きつく。
離れたくない…
トーマにはまた怒られちゃうかもしれないけど…
まだ、離れたくない…
「美古お前にも仕事あるんだろ?」
「うん…まぁー」
時間がないのはわかっているんだけどね・・・
私はトーマの上着を着せる。
「…今夜も早めに帰るから…それまで我慢しろ」
「うん」
トーマに肩を抱かれながら、スイートを出る。
身体は昨日の夜に逆戻り。
貪欲にトーマの温もりを求めていた。
トーマは何くわぬ顔で、エレベーターのボタンを押す。
さっきまで甘い顔で私を見つめていたのに、廊下に出た途端、キリッとした外の顔に早変わり。
トーマのようにキモチの切り替えの出来ない私はいつまでも、ボーッとしていた。
「来たぞ」
パンプスのつま先を見つめていた私は、トーマの声でハッとして、顔を上げた。
エレベーターが軽快な音と共に私たちに向かって、扉を開く。
中に入って、トーマがボタンを操作。
扉が閉まり、栗原さんの待つロビーにエレベーターは急降下。
昨日見た夜の街は静かな朝の街に変わっていた。
ロビーには栗原さんと一緒に、私のマネジャーの淡路香奈子(アワジカナコ)さんが立っていた。
「おはよー。美古ちゃん」
「おはようございます…」
「おはようございます。淡路さん。いつも妻の美古がお世話になってます」
隣に立っていたトーマが淡路さんに丁重な挨拶。
親しい間柄なのに、社交辞令を忘れないトーマ。
『親しい仲にも礼儀あり』
トーマのそんな所が、オトナを感じさせる。
「こちらこそ」
「じゃあー俺は行くよ…」
トーマは栗原さんと共に先に、ホテルのエントランスに向かっていった。
私は見えなくなるまで、トーマの姿を名残惜しく、目で追った。
俺は車に乗り込み、今日の会議の資料に目を通す。
「社長…淡路さんから少し聞いた話ですが・・・」
信号待ち、栗原がバックミラーで俺を見つめながら、話しかけてくる。
「淡路さん…何か言っていたのか?」
「美古さんにドラマのオファーが来ているらしいです」
「ド、ドラマ??」
あまりの驚きで、俺は声が詰まった。
「それも…相手は韓国で有名なダンスユニット『サザンクロス』のメンバー・リントらしいです」
「・・・」
韓国のタレントには全然、疎い俺。
「そいつは有名なのか?」
赤信号に変わり、栗原は再び、車を走らせる。
ハンドルを握りながら更に、話を続けた。
「有名ですよ…子役時代から売れっ子でしたから」
ふーん。
「・・・」
子役でブレイクして、そのまま成長しても活躍できるとは実力と人気はホンモノだなー。
「『サザンクロス』自体が日本を拠点に活動するらしく、そのドラマも日本に売り込む為のモノらしいです」
「ドラマね・・・」
モデルの仕事だけでも、忙しいのに。
ドラマなんてされたら・・・
ますます、お互いに過ごせる時間が少なくなる。
「このまま…美古さんにドラマに出てもらってリントに近づき、親しくなって、ウチの秋の新商品のCMのオファーを」
「話題にはなるが…」
「他の会社も水面下で既にリント争奪に乗り出しています…。ウチも早く参戦しないと」
俺よりも、栗原の方が世の中の動向をいち早く見据えていた。
栗原は本当に頼りになる秘書だ…
「そうだなードラマのオファーは断らないように美古に言っておく」
「お願いします…」
事務所の社長が私と淡路さんを応接室に呼んだ。
私の所属する『Jガール』
たくさんの売れっ子モデルが在籍する大手の有名モデルクラブ。
社長も昔は売れっ子モデルだった。
名前は阿佐見怜(アサミレイ)社長。
「美古ちゃんあなたにドラマのオファー来てるの!」
怜社長の声は嬉しさのあまりに舞い上がっていた。
「私にドラマ??」
淡路さんが言っていた大きな仕事って…ドラマだったの!?
「相手役は『サザンクロス』のリントよ!!」
日本ではデビューしてないけど、韓国の売れっ子ダンスグループ。
トーマには内緒だけど、私はリントの大ファン!!
『BETUBE』で歌のPVとか見たコトあるけど、声もダンスもセクシーでカッコいい。
何故?私なのか疑問符が浮かぶ。
「でも、どうして私に?」
「それは…リントの所属事務所のご指名」
「えっ!?」
事務所のご指名?
いくら私が売れっ子モデルでも、女優としてはど素人よ!!
変な話ーーー・・・
何か裏がありそうで…ヤだなぁー。
でも、リントが相手だし…素直に喜ばないとね。
あーでも、トーマ何て言うかな?
「キスシーンとかあるんですか?社長」
「恋愛ドラマだし、キスくらいはあるわよー」
キスシーン有りか…
リントとキスかーーー・・・
想像出来ないなぁー
「なんだか…顔がニヤけてるわよー美古ちゃん」
「あ・・・すいません」
私は思わず自分の世界にトリップしてしまった。