「どちらか間違えてませんか?
うちには、ルカと言うものはおりません」
その言葉の後、一方的に途切れた電話。
もう一度、瑠花の電話番号にかける。
受話器を取ってくれたのは、
私も良く知った瑠花のお母さん。
「嘘っ。
おばさんは、瑠花のお母さんでしょ。
どうして、瑠花はいないなんてそんなこと言うんですか?」
冷静になろうと思ったのに、
感情的になった私は声を荒げて……。
「あなたこそ、いい加減にしてください。
うちには、子供はいません」
電話の向こうの人はそう言い放つと、
ブツっと電話が切られた。
舞の電話番号は使われてない。
瑠花は存在しない……。
どうして?
そんなことない……。
瑠花と舞は、私の大切な親友。
そのまま部屋から飛び出すと、私は見慣れた景色を走り抜けて、
二人の自宅へと向かう。
最初に辿りついたその場所、
舞の自宅があった場所には公園があり、
そこに舞の自宅はなかった。
崩れそうになる体を必死に支えて、
今度は、瑠花の自宅へと向かう。
見慣れた建物。
見慣れた家。
そこから出入りする、おばさんも、おじさんも
私が見知った人なのに……表札を見つめると、
そこに刻まれてあった瑠花の名前は存在しなかった。
あまりの出来事に、その場に崩れ落ちる私の体。
どうして?
どうして……私だけ?
二人の居ない世界に帰って来たかったわけじゃない。
瑠花っ、舞っ。
崩れ落ちて、泣き続ける私に、
背後から声がかかる。
「何やってんだよ。
花桜。
おじさんとおばさんから、
花桜が部屋からいなくなったって、
道場に連絡があったんだよ。
探しに来てみたら、なんだよ。
人の家の前で泣き崩れて……」
「だって敬里……ここ……瑠花の家じゃない。
アンタ、ずっと瑠花に片思いしてたじゃない?」
「瑠花?
誰だよ、そいつ」
素っ気ない反応の敬里にさらに言葉を続ける。
「瑠花も舞も私の親友。
敬里も一緒に良く遊んだでしょ」
必死に告げる言葉も何も意味をなさない。
「お前さぁー。
やっぱ、あの日からおかしいぞ。
ちゃんと病院で精密検査して貰えよ。
倒れたショックで、頭とか打ったんじゃねぇのか?
ほらっ、立てよ」
そう言うと、敬里は私が立ちやすいように
体を支えて手伝ってくれる。
敬里は……二人を知らないこと以外は、
あの時と変わらないままだけど二人を知らない敬里と、
この場所に居るのが辛かった。
敬里が私を気遣いながら、
自宅へと歩いていく。
「なぁ?
花桜、どうしたんだよ。
さっきから険しい顔ばっかしてる」
「…………」
敬里はそう言っても、
私には何も続けられないよ。
舞と瑠花はちゃんと存在する。
だけどこの世界に二人は居ないんだもの。
どうしたら、私は二人を助けてあげられるの?
どうしたら……?
最初に居た場所は、この世界に良く似ていた、
三人が居た世界。
次に居た世界は……幕末。
幕末の世界は決して楽しいことばかりじゃなかったけど、
精一杯、生きてた。
そして……あの日……。
芹沢さんが殺される運命の日。
私は瑠花を助けたくて、必死に雨の降る中、
瑠花の元へと駆けつけた。
瑠花と共に、その場所から逃げ出してる途中、
敵が現れたんだ。
刃物がキラリと光って、私の方に迫ってきた。
だから……反射的にその刀を逸らした隙に
相手の体の中へと刀を突き刺した。
肉を突き刺した感触が、
今も……この手にはリアルに残ってる。
突然、震えだした右手を止めるように
左手をゆっくりと押さえつける。
震える体を、必死に止めたくて身を縮める。
……私……殺したんだ……。
山南さんから貰ったあの刀で。
私……人を殺したんだ……。
自らの手で、その人の命を奪ったんだ……。
「おいっ。
どうしたんだよ。
花桜、体震えてるぞ。
唇も真っ青になってんじゃねぇか?
何やってんだよ」
心配そうにかけられる敬里の声にも、
今は何も返事することすら出来なくて。
私の脳裏は、肉の中に吸い込まれていった刀の感触だけが
リアル襲い掛かっていく。
真っ赤な血が、私の右手へと伝わる。
手が洗いたい衝動に駆られて、
帰り道のコンビニの洗面所へと駆け込む。
洗面台の水道水の蛇口を捻って
何度も何度も洗剤をつけて手を洗うのに
その血が消えることはなかった。
「花桜っ。
何やってんだよ。
びしょびしょになってんだろ」
「手が……」
「花桜の手は、汚れちゃいねぇよ。
ほらっ、水道水止めるぞ」
敬里は、そこから手を伸ばして蛇口を回すと、
その場所から私を抱えながら連れ出した。
そのまま、何も言葉を交わすことなく、
自宅へと連れて帰った。
懐かしい温もり、懐かしい景色。
私が帰りたかった場所。
なのにそこには……
大切な親友は存在しない。
「花桜、大丈夫?」
私を気遣ってかけられる言葉も、
今は……私の心の奥までは届かない。
ふとテレビが歴史ミステリーの番組の放送を始める。
幕末の時代の推測番組。
お世話になったあの場所で、ずっと一緒に生きてきた、
その人たちの懐かしい名前が次から次へとTVから流れてくる。
そんなTVを食い入るように見つめながら、
ゆっくりと瞳から溢れだす涙……。
瑠花や舞に……。
皆に……皆に逢いたいよー。
私の本当の居場所に帰るために、
私は何をしたらいいの?
……山南さん……山崎さん……。
どうしたら私は向こうへ帰れますか?
祈るような思いで、
二人の顔を思い描いていた。
……鴨ちゃんが死んだ……。
覚悟していたはずなのに心は思ってた以上に正直で、
お別れの葬式まで踏ん張った直後、私は崩れ落ちてしまった。
花桜はあの日以来、行方知れず。
必死に探すものの、見つかる気配はなく、
毎日、記憶を取り戻した舞が私の部屋を訪ねてきてくれた。
「瑠花、入っていい?」
舞の声を受けて、ゆっくりと布団から這い出すと、
襖をゆっくりと開いた。
「はいっ、今日のご飯。
やっぱり向こうで食べるの嫌でしょ」
「……うん……」
舞の言葉に素直に頷いた。
あの人たちは……鴨ちゃんを殺した人だから。
どれだけ鴨ちゃんが礎になることを望んだとしても、
人、一人の命を奪った人だから……。
そんな人たちと一緒に生活はしてたくないよ。
かといって、
ここから飛び出す勇気もない。
だから……何も出来ない。
食欲はないものの、舞が作って来てくれたもの
食べないわけにもいかなくて少しだけ食事に手を触れる。
ご飯に味噌汁。
お漬物に焼き魚。
たったこれだけの食事なのに私たちの世界みたいに、
パスタや、ハンバーガー、中華料理にフランス料理。
そんなにいろんな食文化があるわけじゃないのに、
ただこれだけの素朴な食事がこの時代では
とても大きいものだと言うことも今の私は知ってる。
憎むべき存在に養われないと生きていけない現実。
そんな苦い現実を噛みしめながら、舞と二人食事をすすめた。
「ねぇ……。
舞……花桜どこ行ったと思う?」
小さな声で呟く。
あの日、花桜が私を助けに来なければ……
あそこで襲われなければ花桜が危険な目にあうことなんて
なかったのかも知れない。
そんな罪悪感が心の中を掠めていく。
「帰ってて欲しいなー。
花桜だけでも懐かしい世界に……」
食器を置いて、ゆっくりと立ち上がると、
襖をあけて、空を見上げながら小さく呟いた。
うん……。
花桜だけでもあの世界に帰ってくれてたらいい。
この世界は悲しいことが多すぎるから……。
「……そうだね……」
小さく言葉を返した。
その後、舞は食器を持って私の部屋から出て行った。
花桜が居なくなったあの日から、
舞がこの場所の掃除や洗濯を全て手伝っている。
舞にとっても……舞の大切な、
長州に人に鴨ちゃん殺しの罪をなすりつけた
この場所の人たちの為に働き続ける時間。
理不尽な世の中だね。
食事の後、フローシアの制服に袖を通す。
そう……。
この制服を着て、
私たちはこことは別の世界で生きてた。
そっちの方が夢だったんじゃないか?
っと思いがするほどに長い時間、
この世界に居続けてる気がする。
実際には……そんなに長くない。
だけど……心はその長さに壊れていきそうで。
一人で髪を梳かす。
その単純な行動が鴨ちゃんとお梅さんが
居なくなったことを強く知らせる。
髪を結いあげてくれてたお梅さん。
そんな私たちを優しく見つめ続けた鴨ちゃん。
髪を上の方で、柔らかく結ぶと
クルクルと指先に髪を絡めていく。
コテがあれば……もっと思い通りに
髪型をセット出来るのに。
久しぶりに私の世界の服を身に着けて、
私の世界の髪型を結って、二人が眠るお寺へと、
部屋を出て歩いていく。
すれ違う隊士たちが、
不思議そうな視線を向けてくるけど、
そんなの私には関係ない。
邸を抜け出して、
裏門からお寺の方に続く道を駆けていく。
あの日からの毎日の私の日課。
お寺の庭で、紅葉を数枚拾い上げると、
二人が眠るその場所へと持っていく。
お寺の片隅。
少し大きめの石が二つ。
今みたいに立派なお墓じゃない
こじんまりとした石の下で二人は眠ってる……。
どれだけ立派な葬送をして
見送ったと後世で言い伝えられていても、
やっぱり……あの人たちがやったことは、
そんなに綺麗に受け入れられていいことじゃないよ。
紅葉をお墓の前に舞い踊らせると
ゆっくりと座り込んで両手をあわせる。
「鴨ちゃん、お梅さん。
今日も来たよ。
これがねー私が住んでた、月の着物だよ。
コテがあれば、もう少し可愛らしく髪の毛も
セット出来るんだけどねー。
この世界にはないから……」
鴨ちゃんが居たとき、私の世界を月の世界だと何度も
楽しそうに尋ねてきた。
だから毎日……ここに来て、
あの日までに語りきれなかった月のことを
もっともっと話してあげる。
だから……もう一度、声を聴かせてよ……。
あの場所では決して流れることのない
涙がこの場所でだけは頬を伝っていく。
そんな涙を隠してくれるように、
降り出す雨。
慌てて立ち上がった途端、
草履の鼻緒がちぎれて
そのまま後ろにひっくり返りそうになった。
それを背後から支えてくれた存在。
色白の髪を高く結い上げて流しているあの人。
沖田総司。
よりによって、どうして彼が今ここに居るのよ。
総司は……鴨ちゃんを殺した仲間なんだよ。
私から大切なものを奪った。
振りほどくように拒絶をするものの、
その腕は、私の手首を掴んで離さない。
「人殺しの癖に。
私に何のようなのっ!!」
そう叫んだ途端、彼の手は力を失い
私の腕はすぐに解放された。
彼は……何も言わず、
ただ天を見上げて雨に顔を打ち付けられてた。
……えっ?……
泣いてる?
まさか……。
その表情が何故かすごく寂しそうな気がして
その場所から立ち去ることも出来ず、
私もその場所で立ち尽くした。
雨は嫌い。
鴨ちゃんか旅立った、
あの日を思い出すから……。
「瑠花っ!!」
「岩倉」
声が聞こえた方を向き直ると、
舞ともう一人、新選組の隊士らしき男が
舞と共に行動する。
舞が私に抱き着いて、
雨除に、傘をさしだす。
決して、丈夫とは言えない荒竹の骨組みに
油紙を張り付けた単純なもの。
舞に差し出された傘に体を預けると、
沖田さんの方には、舞と一緒についてきたその人が
何か会話を交わしていた。
その人と会話をして何時ものように戻った沖田さんは、
またいつもの表情で私に向き合う。
「鼻緒、付け替えないといけませんね」
その場に座り込んだ彼はそれ以上は何も言わず、
修理を終えて、その場から立ち去って行った。
私も舞と二人、部屋の方に戻る。
びしょびしょに雨に濡れた制服を部屋で脱いで、
この世界で身に着けている着物に着替える。
濡れたままの制服を衣架にひっかけると、
部屋まで持ち帰った草履の鼻緒を見つめ続けた。
鼻緒を見つめながら思い出すのは、
空を仰いだ横顔。
泣いているように見えたその姿が、
今も焼き付いて離れない。
……どうして?……
沖田総司に憧れた時代は終わったんだよ。
あの人は鴨ちゃんを殺した。
なのにどうして、あの人の表情が
脳裏から焼き付いて離れないの?
花桜が居なくなって二週間。
今も花桜のことを探してくれている人もいるみたいだけど、
この邸の中は一日一日と落ち着いていってる気がする。
芹沢さんとお梅さんが亡くなって以来、
お墓参りの時間以外は、部屋から出ない瑠花。
私もこの場所に居て、何もしないのも気がひけるから、
雑用を手伝い始めたものの、どうしてここの人たちは人使いが荒いかな?
人使いが荒いわりには、よそ者をすぐに受け入れない気質なのか、
やっぱり自分の居場所が出来るわけでもなくて。
今までの花桜の生活を噛みしめるように生活してる。
花桜はずっと、
この場所でこうやって生活してたんだ。
こんな中で居場所を作って来たんだね。
そう思ったら、私も負けられないなって思った。
一応、私も……花桜の家の道場で心技体、
鍛えられてるはずだもん。
それに私には……やり遂げないといけないことがあるから。
だから……この場所で留まりつづけることなんて出来ない。
だけど……今は、
この場所で出来ることを確実にやっていきたい。
朝食作りを手伝って邸内の掃除。
そして洗濯物。
破れた着物を繕って何とかやるべきことを終わった頃には、
お昼頃。
お昼ご飯の準備を手伝って、後片付けを終えると
ようやく手に入れられる自分時間。
一度部屋に戻ると、少し着替えを済ませて、
瑠花の部屋へ。
気分転換に瑠花を外へ連れ出せたら……。
現代では買い物行ったもの。
学校帰りに、合流してウィンドウショッピング。
その季節折々に、水着ショーをしてみたり、
コートを羽織って楽しんだり
そう言うノリで遊ぶって言うのまでは
難しいかもしれないけど……
お団子食べるとか、そんな感じでなら
息抜きできないかな?
花桜が消えた日。
瑠花にも悲しいお別れがあったから、
今は……瑠花自身の心がどうにかなってしまいそうで。
「加賀、いつもすまない。
山波が居なくなって、君が屋敷内のことをしてくれて
助かっている」
瑠花の部屋に向かう途中、
私に声をかけてくれたのは斎藤一。
彼とはそんな仲が良いわけではないのに、
何故か……いつも気にかけてくれる不思議な人。
この屯所の中で、やっぱり気にかけてくれる人が
どんな形ででも嬉しくて……。
「私が出来ることなんて殆どないです。
でも今は私もここに居させて貰ってるから。
それに私、芹沢さんたちを殺した人が知りたい。
噂では長州の人だって広がってます。
だけど……私が知ってる長州の人たちは
そういうこと出来る人じゃないと思うんです」
そう……。
今、私がこの場所でやりたいことは、
もう一つの私の大切な人たち。
晋兄や、義助たち長州の人たちに
課せられた汚名を私がちゃんと取り除いてあげたい。
後は瑠花とゆっくり話がしたいんだ。
私は歴史が大嫌いで苦手。
TVで、新選組をしててもチャンネル変えてた。
退屈だから……。
だけど……今は歴史が知りたい。
これから……この世界はどうなっていくの?
大切な義助たちを、
守っていくにはどうしたらいいの?
花桜が居なくなった今、私は瑠花を一人置いて、
何処かに行くなんて出来ない。
本当なら、
この屯所に居たくない気持ちもあるの。
ここは敵の場所。
晋兄たち……長州の悪口を言う人が
多い場所だもの。
「加賀。
この場所では長州のことは話さない方がいい。
口は災いの元と言う」
諭すように紡がれた言葉に、
思わず自分自身の唇を噛みしめる。
「失礼します。
瑠花の様子を見に行きたいので」
斎藤さんの隣を通り抜けようとした時、
すれ違いざま、彼の手が私の腕を掴んだ。
振りほどこうとしても、振りほどける気配すらない
この状況。
「斎藤さん。
放してください」
声を荒げると、今度は素直に手首をはなした。
遮るものがなくなった私は、その場所から立ち去るように、
瑠花の部屋へとかけて行った。
「瑠花っ!!」
慌てて肩を弾ませながら瑠花の部屋に駆け込むと、
そこには……意外な顔ぶれ。
あの雨の日以来、何があったのは……
瑠花の部屋に、沖田総司が顔を見せることが多くなった。