2009年12月、祖父がまた入院してしまった。
医者の説明によると、もう自宅へ帰るのは難しいかもしれないということだった。
日に日に衰弱していく祖父に寂しさも覚えたが、楽に亡くなってほしい、最後まで笑顔でいてほしい、そう考えるようになっていた。
入院中は何度かお見舞いにもいった。
相変わらず我が儘を言って看護師さんを困らせていた。
12月24日、姉と2人でクリスマスプレゼントを私に行った。
いつもの笑顔で「ありがとう」って言ってくれた。
26日病院を訪ねると、祖父は鼻から酸素を吸引していた。
飲み物を誤飲し肺炎を起こしたらしい。
結局私たちがあげたプレゼントの一部のお菓子は、まだ食べることは出来ていないらしい。
あんなに食べたがっていたのに。
28日、鼻からの酸素吸引だったのが酸素マスクになっていた。
あー、もうすぐなのかな。
もう長くはないのかな。
誰に言うわけでもないが、内心そう感じていた。
酸素マスクが嫌なのか、何度も何度も外し、母や伯母に戻されていた。
苦しそうにしながら祖父が言った。
聞き取りにくい小さな声だったが確かに言った。
「正月は家に帰りたい、俺は家で正月をすごす」
無理だということを分かっていて、この台詞を聞くのはつらかった。
泣きそうになるのを必死にこらえた。
医者の説明によると、もう自宅へ帰るのは難しいかもしれないということだった。
日に日に衰弱していく祖父に寂しさも覚えたが、楽に亡くなってほしい、最後まで笑顔でいてほしい、そう考えるようになっていた。
入院中は何度かお見舞いにもいった。
相変わらず我が儘を言って看護師さんを困らせていた。
12月24日、姉と2人でクリスマスプレゼントを私に行った。
いつもの笑顔で「ありがとう」って言ってくれた。
26日病院を訪ねると、祖父は鼻から酸素を吸引していた。
飲み物を誤飲し肺炎を起こしたらしい。
結局私たちがあげたプレゼントの一部のお菓子は、まだ食べることは出来ていないらしい。
あんなに食べたがっていたのに。
28日、鼻からの酸素吸引だったのが酸素マスクになっていた。
あー、もうすぐなのかな。
もう長くはないのかな。
誰に言うわけでもないが、内心そう感じていた。
酸素マスクが嫌なのか、何度も何度も外し、母や伯母に戻されていた。
苦しそうにしながら祖父が言った。
聞き取りにくい小さな声だったが確かに言った。
「正月は家に帰りたい、俺は家で正月をすごす」
無理だということを分かっていて、この台詞を聞くのはつらかった。
泣きそうになるのを必死にこらえた。