My Love―お兄ちゃんとどこまでも―

思わず、母親とハモってしまった。

驚きを通り越してしまったのか、固まる私たち。



「何だよ、その顔は」



「ちょっ!にゃに!」



私の頬を摘まんで引っ張る龍児。

顔なんてどうでも良いから、質問の意味を教えてよ。



「龍児君……、最初、有紀さんとデートしたんじゃないの?;;」



「いえ?だって大晦日に別れたし、単なる取引先の令嬢なんで会いませんよ」



「ごめん、私、頭が追い着かない……;;」



龍児の口振りに、母親も嘘ではないとわかっただろう。

じゃあ、さっきの藍川原さんとの話はなんだったのか。



「沙亜矢、俺も意味わかんねぇ」



「だから、さっき私たちは藍川原さんとカフェでたまたま会って――…」



私だって、龍児が大晦日には藍川原さんと別れてたなんて知らなくて、意味わからない。

しかし、さっきの出来事を話すと、龍児は眉間にシワを寄せながらビールを一口。



「お前さ、そりゃねぇだろ」



「わ、私!?;;」



…何で私が怒られなきゃいけないの?

悪いのは、私たちを混乱させる嘘を吐いた藍川原さんなんじゃないの?;;



「俺、二股掛けた事ねぇよ。何しにお前とあいつを?彼氏である俺を信用してねぇんだな」



「え……?;;」



「ちょっと、待って!」



…それは言ったらダメでしょ?
「言わなかった龍児の方が悪いでしょ!そりゃあ嘘を吐く藍川原さんの方がもっと悪い!それにまだお母さんには話してなかったのに、何でそんないきなり“彼氏”って言っちゃうの?;;」



「あ。言われてみればそうだな。ハハッ……;;」



龍児は苦笑いをしながら、私から母親の方へと視線を移した。

母親も苦笑いで、「まぁ、他人になったんだものね……;;」と答えながら目を逸らした。



「いつか藤森姓に戻しますけど……、それでも良いですか?;;」



「もちろん!私も、長田姓に……;;」



「え?何ですか?」



「私も、長田に戻ろうかと……;;」



…何て……?;;

ゴニョゴニョと答える母親に、私は思わず目を見開いた。

いつの間にそんな事になってたの??

マンションに来ても、上がりもしなかったのに急に何でそうなったの!??



「別にね?子供の前でなんだけど、男と女としてもう一度歩もうってわけじゃないの!何と言うのかな……。共に老後を生きようと思うの。例えば縁側で、会話も何もいらないし、2人の間に距離があろうと、同じもの見つめて居たい。それが孫であったら、嬉しいね……って、話してたの」



「お母さん……」



本当は、アパートで1人寂しいんじゃないかといつも考えてた。

父親と再会した頃は、父親にそんな事を思っていた。
そんな2人が、また同じ道を歩み出す。

1人で過ごさず、近くに話し相手の居る毎日をまた送り始める。

しかもそれが、私の大好きな両親。

両親がまた一つ屋根の下で家族に戻る。



「……っ、ありがと……」



それは、娘である私には何よりも嬉しかった。

交わる筈のなかった父親と母親の人生が……。

見た事なかったツーショットが、私も見る事が出来るんだ……。



「お礼を言うのは、お母さんたちの方よ。沙亜矢がお父さんに会いに行ってくれたお陰」



「でも……っ、嬉しいから……っ……」



おしぼりで涙を拭い、龍児の腕にしがみつき、肩口に顔を埋めた。

落ち着かないと、母親を見てると涙が止まらない。



「龍児君……」



「はい?」



「結婚はまだ先だろうし、プレッシャー掛けたくないけど、沙亜矢をよろしくね。龍児君なら安心だから」



「うん。今度は亜矢子さんの事、お母さんて呼ぶから」



「……それ止めない?イケメンに名前を呼ばれると、イキイキして若く居られるじゃない」



「「…………;;」」



龍児は貴方を“お母さん”と一度も呼べなかった事を後悔してるのに、何を言い出すんですか;;

さぞかし酔いが回って来たんでしょうか。

お陰で涙は止まったけど……;;








「沙亜矢ー?お父さんもう出るわよ」



「ちょっと待ってよ!」



――今年も暑い夏を迎えた。

母親もマンションへと越して来て2ヶ月。

3人での生活にも慣れた。

私はリハビリの甲斐あってか、まだまだ恢復とは言えないものの、少しは歩けるようになった。

膝の筋が縮んだまま固くなり、歩く時に上手く膝が曲がらないんだ。

座る時は手で膝裏を支えるように持つと曲がるんだけどね。

しかし、父親のお陰もあり、就職が決まってた航空会社で働き始めた。

黒のスーツに身を包み、覚え経てのメイクをして、久しぶりに出勤時間が一緒になった父親の車に便乗して出社。

私は脚の事があり、裏方勤務。

でも、運航管理業務スタッフとして、やり甲斐の持てる仕事をさせて貰ってる。

まだ見習いながら、ディスパッチャーと呼ばれる私の仕事は、パイロットに飛行プランの作成や天候を伝える重要な任務。

3日前、珍しくバンコクのフライトで日帰りフライトだった父親と初めてディスパッチ・ブリーフィングを行った時は、恥ずかしくて顔を見れなかった。



「おはようございまーす」



フライト前の日課であるコーヒーを飲みに行った空港スタッフ専用のカフェへと行った父親と別れてデスクへと向かう。

私たちディパーチャーのデスクは、パイロット専用のフロアーの隅に1列に並んでる。

壁には気象映像のモニターが各国ごとに映し出され、フライトの運行表が貼り出されてる。
各デスクに振られる番号。

私は自身が担当するフライトを確認し、着いて早々にパソコンを起ち上げて天候を確認し、飛行プランを作成して行く。

そして、1回1回手の空いてる先輩ディパーチャーに確認、承諾を貰う。



「福岡行き352便のディスパッチブリーフィングを始めます。よろしくお願いします」



CAさんはCAさんでブリーフィングを済ませてるものの、飛行機で合流後、合同のブリーフィングにも関わる重要な内容が含まれてる。

私はいくら渡すプリントだろうと、一語一句漏らさず伝えて行く。



「気を付けていってらっしゃいませ」



そして、質問や不明点がないかを確認してから頭を下げた。



「長田さんて、長田機長の娘さんだったんだって?」



そして次の飛行プランの作成取り掛かろうとしたのに、まだ海外フライトの経験もない入社したての副操縦士のパイロットに捕まった。

しかし、この人はただのパイロットじゃない。

正式にパイロットとして認められる金のラインが1本もない、見習いの“カラス”である。



「そうですが、何か」



公私混同をしないとは言い切れない。

でも、表立ってするつもりもない。

素っ気なく返事をしてると、カウンターに肘を乗せながら、顔を近付けて来た。
あまり調子に乗られたら、カウンターの下に隠された本棚の辞書で叩いてやれば良い。

そう思いながら立ったまま、カラスを見据えた。



「俺、長田機長は優しいから慕ってるんだよね。俺の事も嫌ってないと思う」



「それが、何か」



「どう?今夜、食事でも行こうよ」



…またですか……。

カラスって、どんな人も同じ。

私を誘ってるようで、監査役も務める父親に私から一声掛けて貰おうと、近付いて来るんだ。

この1週間でも3人目。

毎回、呆れを通り越して疲れる。



「私、彼氏が居ますので、カラスさんとプライベートまで関わるつもりありません」



「そんなの関係ない」



私はカフェからこちらへとやって来た父親に気付いて目配せをしながら、「では目的は?」とわざと訊いた。



「来週、審査があってさ。俺、成績ヤバいんだよねー。だから、いくら長田機長が優しいって言っても不安なんだよね。それで、君に長田機長にちょっと上手く言って……」



「――ですって。長田機長」



「えっ!!?;;」



オーバーな位、顔を歪めてカウンターに凭れるカラス。

私は倒れたカウンター番号の札を立て直しながら、間抜けなカラスを見続けた。
「クリハラ君だったかな」



「はい;;」



「私の娘を口説く前に、やる事をやらないか」



「すみませんでした!;;」



カラスは深々と頭を下げ、勢い良くその場を去って行く。



「俺の娘って言うのも大変だな」



「いいえ。幸せですよ」



私は父親にニコリと微笑み、デスクチェアーへと腰を下ろした。

そして、次のブリーフィングの準備へと取り掛かる。

午前3便、午後4便と少ない担当ながら、新米の私には難しい。

けど、これから数が増えたら大変。

何かトラブルが起これば、呼び出しが掛かってしまう。

場合によっては、ディスパッチャーの責任になるんだから。



「このルートでは、また揺れる可能性があるのでは?」



トラブルがなくとも、パイロットと言い合いが起こる事もある。



「ですが、今はここを通るしかありません。こちらのルートはまだ規制が解除されてませんから、そこはヨシダ機長の腕次第で揺れは軽減されるでしょう」



「君に操縦桿を握る事がどれだけ大変かわからないだろ!」



「えぇ。車のハンドルしか握れませんね」



私の前のデスクの先輩が現にそうだ。

相手にしてないようだけど、冗談を笑いもせずに言ってる。

こめかみがピクピクしてるのを見る限り、相当苛立ってる。

ヨシダ機長は後半年で定年退職の最年長機長。 

キレても仕方なく、堪えてるのだろう。
「私の最後の海外フライトを安全にさせろ!」



「では、違うフライトに変更を申し出て下さい。私にはこのルートしか出せません。それに、私は全フライト安全を心掛けてます」



「とんだディスパッチャーだ。おい君!」



「…………?;;」



「今すぐ新しいルートを出してくれ」



「私がですか?;;」



…勘弁して下さいよ;;

何で私を巻き込むんですか;;

ヨシダ機長と一緒に居た、今回は副操縦士を務めるマルヤマ機長が苦笑いで手を合わせた。

仕方なく、飛行プランに目を通して新しいルートがないのか検索。

ないわけではない。

しかし、天候も考えた結果がこのルート。

最善で安全なルートだった。



「こちらをご覧下さい。私も先輩が提示したプランが一番かと思います」



私はルートの検索結果をプリントアウトし、立ち上がった。

そして紙を見せながら、ヨシダ機長に説明。

だが、怒りに手を震わせながら、検索結果のプリントをグシャグシャに丸められた。



「君までも私のフライトを危険に晒すのか!」



「はい?」



「長距離フライトで機体を何度も揺らす何て出来るか!!」



「……では、積乱雲にでも突入しますか」



「え……?」


私は気象データをプリントアウトし、カウンターにバンッと置いた。
「最善のプランがダメでしたら、このBルートでフライトされますか?大きな雨雲が発生してるんですけど、いかがでしょうか。ちなみにCルートも同じ状況です。何度言われてもわからないようなので簡単に説明をさせて頂きましたが、まだこのルートは嫌でしょうか。でしたらお好きなルートでフライトして下さい。但し、私たちは責任を負いかねます。どうぞ積乱雲に飲まれて後悔でも何でもして下さい」



「……フッ。さすが長田の子だ。冷静ながら、毒を吐くところがそっくりだ」



「毒ではなく事実です。後は先輩とどうぞお話下さい。私、まだ仕事の途中なので」



私はヨシダ機長に頭を下げて、やりかけの飛行プランの作成を再開。

ヨシダ機長は大人しく、先輩が最初に示した飛行プランでのフライトを行う事にしたらしい。

誰だって、積乱雲に入りたくないだろう。

気流の乱れで少しだけ揺れる方がまだ良い。

区切りを付けて、私はコーヒーを飲みに行く事に。

私たちディスパッチャーは休憩時間は1時間半と決まってるけど、どのように取るかはその人の采配によって決まってる。

私はお昼に40分、後は小まめに4~5分ずつ取る。

まとめてより、小まめにパソコンから離れないと目が疲れるからね。



「沙亜矢。韓国のお土産楽しみにな」



「いってらっしゃいませ」



フライトに出る父親に声を掛けられ、他のスタッフさんの手前、丁寧に頭を下げて見送る。

日帰りフライトが月の半分を占める父親。

食べ物にしてくれないと、また私の部屋にはいらぬ置物が増えて行く。

マトリョーシカが、5体居座るようにね……。