産婦人科でママさんに親のフリをして貰い、同意書にサインをして貰った。
処置した時の痛みは、忘れられないものになると思う。
病室には、同じように赤ちゃんを降ろすカップルが居たけど、どうして笑って居られるのか不思議だった。
好きな人との子供な筈なのに……。
私は罪悪感でいっぱいなのに……。
ママさんは仕事がある為、帰ってしまってからは私1人ベッドでゴロゴロ。
夕方には退院が出来るらしい。
泊まっても行けるらしいけど、お金が嵩むから断った。
コツコツと貯金してたけど、それもなくなっちゃったし。
着替えを済ませて、受付で頼んでおいた薬を受け取ってお店へ行く。
まだ家には、帰れないから。
「無理しない方が……」
「大丈夫です。動いてないと落ち着かなくて」
止めるオーナーを他所に、ボランティアとしてフロアに出た。
有難い事に、今日は満員御礼。
何も考えず、仕事に打ち込めた。
大学生アルバイトの香西ーコウザイーさんは、高校の先輩・後輩。
カウンターでコーヒーを飲みながら、先生たちについて話す事が好き。
数学の先生がまたハゲたとか。
私の担任はまだ独身だとか。
「相変わらずだよね、うちの高校も」
「本当ですよね」
22時まで、話が尽きる事はなかった。
家に帰り、お兄ちゃんにだけ「ただいま」と告げた。
母親は夜勤の為、晩御飯は作りおきされたカレーだった。
少量だけ食べ、キッチンのシンクに浸けられたままの2人が使った食器も一緒に片付け、部屋に入る。
産婦人科で貰ったピルを、母親にバレないように使ってないサプリメントケースに入れ換える。
ここまでして、自分でも馬鹿だと思う。
でも、しないと過ちを繰り返しそうで嫌。
「沙亜矢?入るぞ」
「あ、うん」
お兄ちゃんの声が聞こえて、私は慌ててベッドの下にケースをしまった。
お兄ちゃんが下の段だけど、後で移せば良い。
「お前さ、進路は決めたのか?」
「うん。一つ、二次募集がある会社を勧められたから受けてみる。受かったら話すよ」
本当は、面接すら受けるかもわからない。
新学期までに気が変わるかも知れない。
もう受かっても、蹴るかも知れない。
変なところで自分を甘やかしてるよね、私。
「就職したら、この家を出ろ」
「うん……」
「そしたら、俺も見合い相手と結婚するから」
「……え……?」
…“結婚”……?
お兄ちゃんは、いつお見合いしてたのだろう。
固まる私を他所に、「ちゃんと考えろよ」と、ベッドの向こう側へと行ってしまった。
そりゃあ、確かにお兄ちゃんは結婚しててもおかしくはない年齢。
なのに、私が家を出たらなんて……。
本当に、離れてしまう。
出なければ、どうなるの……?
「……お風呂入って来る」
「ゆっくり入れよ」
部屋を出て、リビングで雑魚寝する父親を避けながら、脱衣場へ行く。
下腹部に手を当てれば、もう痛みはなかった。
痛むのは、心だけだ。
バスルームに入ると、いつもより熱めのシャワーを頭から浴びた。
1人で立ち上がったら、誰の手も借りずに進んで行かなければならない。
そんな事が、私に出来るんだろうか。
しなきゃいけないのに、自信がない。
かといって、お兄ちゃんに甘え続ける……?
家に残ってでも、お兄ちゃんを繋ぎ止める……?
ねぇ、パパ……。
何が、正しいの?
正しい道は、どこにあるの……?
航空会社を私は受けて、お兄ちゃんは結婚。
もしくは近場で適当に就職して、父親にまた襲われても、お兄ちゃんと暮らす。
どっちも……嫌だ。
どっちも、今は選べない……。
私に、正解を教えて――…。
長湯してしまい、逆上せる寸前で入浴を終えた。
タオルで頭を拭いながら、キッチンへ。
水を飲みながら、欠伸を漏らす。
明日は年内最後のバイト。
お兄ちゃんと母親は、明日から休みになるらしい。
「……待て」
グラスを片し、部屋に戻ろうとした刹那。
足首を掴まれた。
「離して……」
「あ゛?」
「離して――ッ!!」
ーーバンッ
父親を見下ろしながら叫ぶと、襖が力強く開いた。
お兄ちゃんがこちらを見るが、父親は手を離して寝たふりをしてる。
「……親父。沙亜矢に何したんだ」
「…………」
「親父!!」
「足に、手が触れただけだ」
…嘘ばっかり。
部屋に入り、ベッドの梯子を勢い良く上がって布団へ潜り込んだ。
「殴られたりしてないか?」
お兄ちゃんが追い掛けて来て、毛布を捲ろうとしてるけど、私は布団から手を離さなかった。
もう正直、全てを話して私はここから居なくなりたかった。
だけど情けない顔は見せたくないし、お兄ちゃんがどんな表情をするか怖くて見たくないけど。
「……お兄ちゃん」
「何だ?」
「私は、どうしたら良いの……」
お兄ちゃんとは離れたくないのに、この家が嫌。
父親を見るのも嫌。
「沙亜矢……」
「私は、いつまでこの気持ちを我慢すれば良いのかな……」
お兄ちゃんを好きって想い。
ここから消えたい気持ちも。
寝ずに朝を迎えて、私は仕事納めとなる年内で最後のバイトへと向かった。
お兄ちゃんはまだ眠ってるみたいで、声を掛けずに家を出た。
夜中に降ってたらしい雪が、少しばかり積もってる。
滑りそうになりながらもお店に着き、さっさと着替えを済ませた。
今日は20時までで、それからは大掃除。
「沙亜矢、これ食べる?」
砂糖や塩などを補充してると、光希ちゃんが大きなおにぎりを持って来た。
「大き過ぎない??」
「唐揚げ・鮭・昆布が入った爆弾おにぎりだからね」
…何でそんなモノを;;
私はオーナーと半分ずつして食べる事にした。
「あ!ちなみにコレ、加古さんの大好物」
「加古さんと親しくなったんだね」
ママさんが開店させてしまった為、私はコーヒー豆を挽きながら会話を続けた。
光希ちゃんはグラスに氷を入れ、水を注いで行く。
「子持ちだから、別に結婚とか付き合いたいとかはないんだけどねー……」
「私は、兄妹より良いと思うよ」
本心だった。
子持ちだからと諦めてる光希ちゃんに、少しイラッとしてしまった。
自分と子供を愛してくれる人なら良いと思う。
父親と私は上手くいかなかったけど。
加古さんならと、思う。
「沙亜矢も。自分たちの関係、一から見直しなさい」
「私たちの、“関係”?」
ハテナでいっぱいになる私を前に、光希ちゃんはコーヒーを運んで行く。
オーナーに「どういう事かわかります?」と訊ねても、首を傾げられた。
「BLTサンド一つお願い」
「了解」
…私とお兄ちゃん。
サンドイッチを作りながら考えるも、全く答えが出ない私。
「ヒントは、藤森家はステップファミリー」
…子持ち同士の再婚て事でしょ?
「あ……他人だ」
「後どうするかは、沙亜矢次第だけどね」
そう言われると、どう行動すれば良いのかわからない。
あれこれ考えても、“ダメだ”と諦めてる。
数学より、難しい問題。
体より頭が疲れ、13時からの昼休みになるとすぐに控え室に入った。
賄いは、このお店でオーナーしか作れないハヤシライス。
これは、ママさんも作り方を知らなくて。
作るのに3日を要する為に、月に一回出るかもわからない。
「希、大人しくしてるかなー」
「曾祖母ちゃん、わざわざ来てくれて優しいね」
「母親の方は若いからね」
2人でハヤシライスを食べながら、希ちゃんの話をした。
光希ちゃんの携帯の待ち受けには、笑顔の希ちゃん。
希ちゃんの笑顔とハヤシライスのお陰で、午後も頑張れそう。
「ただいま……」
大掃除も無事に終わり、私は帰宅した。
こんな時間にしては珍しく、誰も家に居ない。
気にしないつもりが、テーブルには【龍児君の彼女たち家族と食事へ行く事になりました。ホイル焼き温めて食べてね】と、母親からの置き手紙があった。
思わず手紙を握り潰した。
ゴミ箱へ捨て、食事もせずに寝る体勢。
しかし落ち着かず、お風呂へと向かった。
鏡に映った体には、まだキスマークがある。
直視しないのは、自分の体に付いてると思いたくないから。
シャワーを浴びながら、お兄ちゃんの結婚が近付いてる事を忘れようとした。
なのに、すぐに思い出しては私は現実の辛さを再確認。
…私……。
本当に、1人で生きて行く時が来たのかも知れない。
父親との嫌な記憶を、背負ったままで。
ーーガバッ
「…………っ!?」
「――わ、悪いっ!!;;」
お風呂から上がった瞬間、脱衣場でお兄ちゃんに遭遇した。
鏡を前に、何かをしてたお兄ちゃんは、慌てて脱衣場を飛び出した。
…見られた……?
え……、どこまで?
キスマークまで、見えてないと良いけど。
昔は一緒にお風呂に入れたけど、今はさすがに無理で。
お互いに大人になっただけじゃなくて、私には……。
気まずいながらも部屋に戻り、濡れた髪の毛をタオルで拭きつつ、椅子に腰掛けた。
室内には時計の針音しか響かず、お兄ちゃんが何をしてるかもわからない。
「なぁ…」
沈黙を裂くように、お兄ちゃんの声が聞こえる。
「彼氏、出来たのか……?」
聞きたくなかったセリフ。
この言葉にはきっと、見られてた証拠。
どう、答えたら良いんだろう。
真実を言ったら、どうなるんだろう。
「……まぁ、ね」
―――言えないけど。
お兄ちゃんは、お兄ちゃんでしかないんだ。
私は、1人で生きる道を進むんだ。
そう思った矢先、カーテンが激しく開き、気付けば目の前に、お兄ちゃんが立っていた。
「どうしてだ……」
「何が?」
「いつになったら、俺に素直になるんだ」
「…………っ!!」
口振りや顔付きから。
お兄ちゃんが全てを知ってると、察知した。
それだけでなく、ベッドの下からは捨て忘れてた産婦人科で貰ったピルの入ってた袋。
言い逃れが、出来なくなった。
「……私が話したら、何か変わるのかな?お兄ちゃんは、ずっと私を守ってくれないのに。それなのに全てを話せと……?」
私の想いが膨れる中、お兄ちゃんにはストレスを与えてるかも知れない。
好きにならなければ。
父親と母親が、出会わなければ良かった。
―龍児 SIDE―
取引先で知り合った、信頼の置ける加古さん。
昔は高校の番同士として会ってた人。
呼び出された時は、沙亜矢への気持ちに気付いてなかった。
指定されたファミレスに行くと、何故か沙亜矢のバイト先の子。
光希ちゃんと、その娘が居た。
「急にお呼び立てしてすいません。せっかくのお休みなのに」
「それは良いんですが、何かあったんですか?」
2人が一緒に居る事もさることながら、俺は沙亜矢が持ってたであろうピルが気になる。
何故、あいつが持ってるんだ。
付き合ってるヤツが居るとも思えないし。
今の俺に、2人の話を聞く余裕はあるだろうか。
「いきなりですが、沙亜矢は今、私の母親と病院に行ってます」
「……“病院”?」
確かに昨日と今日、沙亜矢は元気があるようには見えなかった。
しかし、親父が居るからだと思ってた。
家ではいつも浮かない顔してる。
あいつは気付いてないが、綺麗な顔立ちをしてるから周りは何も言わないが、見た目は相当暗い。
「あの子は、3年も前から藤森さんのお父さんからレイプされてるんです。それで妊娠をしてしまって……。今、堕胎しに行ってます」
「…………」
…嘘だろ……?
固まる俺を他所に、光希ちゃんは悔しそうな顔で言い切った。
親父への苛立ち。
沙亜矢を思うと、懺悔ばかりが込み上げる。
何で、もっとちゃんとあいつを見てやれなかったんだろうか。
沙亜矢を苦しめたのは、親父だけじゃない。
――俺もだ。