「アメリカンとハムサンドです」
「いつものね」
オーナーもあの人の事は知ってる。
従業員の中で、知らない人は居ないかも知れない。
「沙亜矢、私が運ぼっか?」
「どうせいちゃもん付けられるから良いよ」
私が運ばない時は、懲りずに“態度が悪い”とか、“髪の毛が入ってる”とか、ありもしない事を言う為、結局は私が運ぶしかない。
「沙亜矢」
「はい」
溜め息を吐いてると、お兄ちゃんに呼ばれた。
一番テーブルに急ぐと、コーヒーのおかわり。
カップを下げ、新しいマグカップにコーヒーを注ぐと、光希ちゃんがハムサンドを届けてくれたらしいけど、またキレてる。
「睨んだだろ」
「睨んでません」
…はぁ。
私は何度も何度もわざとらしく溜め息を吐きながら、お兄ちゃんと加古さんにコーヒーを運ぶ。
横を見れば、私を指名する彼に「ここはキャバクラではありません」と、光希ちゃんは冷静に対応してる。
「客に指図するのか」
「指図ではなく、正論を言ってます」
「何だ、アレ」
「私が好きらしくて……」
お兄ちゃんに事情を説明すると、加古さんが「あの客もダサい」と呟いた。
時々、口調が光希ちゃんよりキツい人。
テレビドラマで見るヤンキーみたいだ。
…もしや本当に“ヤンキー”とか……?
そう言えば、さっき慎之介さんを殴り飛ばした時の加古さんのオーラは凄まじかった。
真っ黒の、危ない雰囲気を醸し出すオーラ。
「沙亜矢ちゃん。コーヒー淹れ直せる?この子のせいで冷めちゃったよ」
「……わかりました」
初めて名前を呼ばれた。
お兄ちゃんが私を呼んだ時に覚えたんだろうけど、止めて欲しい。
胸糞が悪い。
「沙亜矢が淹れなくて良い!」
立ち上がり、コーヒーを下げに行こうとした私。
だけど光希ちゃんに止められた。
「この際だから、ハッキリと言わせて貰います」
首を傾げてると、光希ちゃんは鋭くお客様を睨んでる。
…何を言うの?
「貴方の我が儘、沙亜矢への好意は迷惑なんです」
「み、光希!;;」
オーナーはもうたじたじ。
私も黙って見る事しか出来ない。
「あそこに座る、紺のスーツの人見えますか?」
…お兄ちゃんの事?
「それが何だと言う」
「あの方は、沙亜矢の彼氏です。貴方には敵わないお方。諦めた方が身の為ですよ?」
「「「『…………』」」」
何という嘘を言うんだ。
いくら血が繋がず、似てない兄妹だからって。
嘘にも限度があると思う。
「ううう嘘だろっ!!;;」
「じゃあ何でドモるんですか?」
…光希ちゃん、強い;;
私が苦笑する中、加古さんが「彼氏!」とお兄ちゃんを呼んだ。
お兄ちゃんは顔を引き攣らせながら立ち上がり、私の肩を抱いた。
「沙亜矢ちゃん、本当なのか?」
嘘も方便。
そう考えた私は、「はい」とだけ答えた。
これで諦めてくれたら助かる。
お兄ちゃんには、利用して申し訳ないけど。
「……許さない……。お、覚えとけよッ!!;;」
…何をだろうか;;
お店を出て行く背中を見ながら、そう思った。
恥ずかしさを隠すようにお兄ちゃんからさっと離れ、光希ちゃんに近付いた。
光希ちゃんはニコッと笑い、テーブルを片付けた。
「今日の私たち、慎之介のせいで不幸だわ」
「一目惚れしてもか?」
「お父さんには、関係ないでしょっ!」
私もこんなお父さんが欲しかったな。
言いたい事が言えるけど、仲良しなお父さん。
あの人とは描けない、理想が私にだってある。
いつかそんな家族を作りたい。
お兄ちゃんと築けたら、幸せだろうに。
私たちは兄妹になってしまった。
夫婦になんて、なれないんだ。
「沙亜矢、どうした?」
「ううん。何でもないです」
私は誤魔化しながら、軽く掃き掃除をした。
「ただいまー……」
今日はクリスマスイブ。
仏教徒の私には関係のない日だが、オーナーにプレゼントされたケーキを片手に帰宅。
リビングでは、両親とお兄ちゃんが揃って居た。
3人だけだと母親の若さが引き立つけど、普通の家族だった。
父親は59歳。
母親は38歳。
見ようによっては、お兄ちゃんと母親が夫婦みたいだ。
「おかえり。寒かったでしょ?今ご飯温めるから、早く着替えておいで」
「うん」
部屋へと行き、制服を脱ぎ捨てて着替える。
鞄を開ければ、光希ちゃんから貰った手袋と手紙。
そして、来月に面接を受ける予定をしてる会社のパンフレットを出した。
担任に勧められたのは、まさかの航空会社。
キャビンアテンダントではなく、陸上勤務。
フロントの仕事だった。
英語の成績も悪くなく日常会話は出来る。
そして、今も接客のバイトをしてる事から推された。
採用されれば、寮としてマンションが借りられる。
条件はあまり悪くない。
ただ、ここから車で2時間は掛かって休みも不定休になる為、母親やお兄ちゃんと会えなくなる。
そこだけがネックだった。
「沙亜矢?早くおいで」
「うん」
私はパンフレットを机の引き出しにしまい、リビングへと行く。
そして父親の顔を見ないようにしながら食事をする。
キッチンに置いといたケーキは、冷蔵庫にしまわれてる。
クリスマスを意識して、今夜はシチューに照り焼きのチキン。
いつもみたいなグリーンサラダではなく、彩り豊かなサラダが置かれた。
「沙亜矢、コレ」
テレビも見ずに食べてると、私でも知ってる有名なブランドの紙袋が置かれた。
「龍児君。沙亜矢にクリスマスプレゼント?」
「バイト頑張ってるから、ご褒美な?」
お兄ちゃんは私の頭を撫で、煙草を銜えた。
母親に急かされ、スプーンを置いて紙袋を開けた。
中には白い箱と、長方形のグレーのジュエリーケースが入って居た。
白のマフラーと、私には勿体ない同級生たちが騒いでたオープンハートのネックレス。
「ありがとう、お兄ちゃん……」
今まで何か欲しいと思っても、母親に頼めなかった。
バイト代でマフラーを買うのも何だか嫌だった。
だけどこれからは、あの公園に逃げる時にお兄ちゃんからのマフラーと、光希ちゃんから貰った手袋はして行こう。
そしたら朝まで寒さを凌げる。
そんな事考えてるから、私はダメなんだけど。
暗闇に、自分からも落ちて行く。
「沙亜矢、良かったね?」
「うん。本当、ありがとう」
私は母親とお兄ちゃんの2人にだけ微笑んだ。
久しぶりに、家族へ笑みを見せたと思う。
父親に二度と笑う事なくとも。
お風呂に入り、後は寝るだけ。
ベッドに入り、明日は8時からバイトの為に7時に目覚まし時計をセットして寝る事に。
「沙亜矢、起きてるか?」
しかしお兄ちゃんに呼ばれて起き上がり、カーテンを開いた。
お兄ちゃんは私を見上げ、リビングを気にしながら、顔を近付けるように手招きして来た。
「どうかした?」
「ネックレスは肌身離さず持ってろ」
「え?」
…大切にしまって置きたかったんだけど。
「親父に売られたら困る」
「……そっか。わかった」
あの人なら売りかねない。
母親が通帳を管理していて、お小遣いは月に2万円。
でも父親には足りない金額で、私だけじゃなく、お兄ちゃんからもお金を巻き上げてる事は知ってる。
しまってたら、売られるのも時間の問題。
私はベッドから降りて、ネックレスを首に嵌めようとした。
でも、もしもヤられた時に取られると思ったら、嵌めるのが怖い。
余ってたポーチに入れて、ちょっとしたカモフラージュ。
それから鞄にしまった。
お兄ちゃんから貰ったプレゼントは、絶対に売らせない。
父親の酒代に変わるなんて、あり得ない。
「…………」
航空会社に就職する事が出来たら、こんな心配がなくなるんだろうか。
大切なモノが、守れるようになれるのかな。
…でもな……。
やっぱり私は、簡単に離れたくない。
まだまだ子供だと、嫌でも自覚する。
「……気持ち悪っ……;;」
ケーキを食べ過ぎたせいか、吐き気がする。
大人しく、何も考えずに今日は寝よう。
カーテンから漏れる光。
お兄ちゃんは、まだ仕事をしてるのだろう。
どうして、お兄ちゃんはここを残ってるんだろう。
私が居るせい?
母親が頼んでるとか?
私って、嫌われたり。
人に迷惑を掛けたり。
存在価値が自分でもわからない人間。
寝返りを何度も打ちながら、ネガティブな考えをなくそうと試みる。
しかし、ポジティブな事も思い付かず最悪な気分だ。
「寝れないのか?」
「ううん、もう寝るよ。おやすみ」
「おやすみ」
寝返りを打った際のシーツの擦れる音のせいか、私が寝てない事に気付いた。
顔は見てなくても、私を気にしてる優しいお兄ちゃんの顔が浮かぶ。
「貴方、いい加減にしてよ!」
「煩い!」
今なら寝れる……そう思ったのに。
両親の喧嘩する声が聞こえて、頭から布団を被った。
玄関のドアが開閉される音。
「はあ……」
母親が溜め息を吐きながら、続けて出て行く。
もう、母親が苦しいなら別れて良い。
無理に居る必要はない。
けど、私とお兄ちゃんはどうなるの?
兄妹という関係だけでも、続きますか……?
翌日、送ってくれる母親と共に家を出た。
駐車場で別れ、私はお店へと急ぐ。
8時からと言えど、開店準備は少しでも手伝いたい。
朝はオーナーとママさんだから特に。
お世話になってるし、ママさんは腰痛持ちだから無理はさせたくない。
「おはようございます」
裏口から入り、パパッと着替えて仕事を開始。
掃き掃除に拭き掃除。
土日はいつもこのスタートだから、もう慣れてしまった。
「沙亜矢ちゃんとだと、足すかちゃうわ」
「ママさんの腰が痛んだら、お店が困るから」
「本当に優しい子ね!光希にも見習わせたい」
第一ここは、私の唯一の居場所だから。
掃除が終わり、案内看板を出せばオープン。
ゆで卵を作りながら、コーヒーの豆を挽く。
薫りが良く、味見がてら淹れ経ての一杯を飲むと、心が安らいだ。
「沙亜矢ちゃーん。クリスマスの朝の賄いは、今年も特別よ!」
「……朝からまたいきますか;;」
ママさんは大の甘党で、去年はエクレア。
今年はパイシュー。
しかも、小さめだからと2個。
私はコーヒーの苦味で甘さを緩和しながら、二つとも平らげたけど、また吐き気が込み上げた。
「あれ?沙亜矢ちゃん、甘党じゃなかったか?」
オーナーが不思議そうに見て来る。
確かに甘い物は嫌いじゃないけど、量にも限度はある。
「朝から食べ過ぎたからです。でも大丈夫です」
本当はかなり堪えたけど、早退は嫌。
私は“顔色が悪い”と言われながらも、お昼まで何とか働いた。
でも、お昼ご飯が入らない。
「沙亜矢ちゃん、今日は早退して病院に行きなさい。年末は休みになるんだから」
ママさんにそう言われて、気が引けながらも早引きさせて貰った。
午後の診療開始の時間まで、公園で時間を潰して病院へと行く。
内申書を記入し、一番に来た為すぐに診察は行われた。
「吐き気だけ?他に気になる事はない?」
「特に気にした事は……」
今一ピンと来ない私は、何故か大学病院にたらい回しされた。
詳しい検査をして来てと。
紹介状を書いては貰えたけど、病院代が無駄。
しかし、紹介状の代金も払った為、私は雪が降りそうな空の下を歩き、何とか大学病院へ。
細かい検査をし、総合診療科で診察を待ってると、女性の先生に呼ばれて安心した。
「藤森さん。貴方、本当に性交渉はしてない?」
「…………」
「まぁ良いわ。今、妊娠4ヶ月。産むにしても、産まないにしても一度、産婦人科に親御さんと相手の方と話し合い、一緒に来なさい」
「……わかりました」
隠しても無意味だった診断結果を聞かされて、涙を堪えながら診察室を出ると、足の力が抜けて長椅子にドンッと座り込んだ。
ショックとしか言えない。
…あの人の……。
父親の子供なんて……。