あの夜、俺は姫を傷つける、そのためだけに姫の体を要求した。

だが、本当に抱くつもりなどなかった。

姫もそれにきっと気付いている。

俺は傷つける方法として、それを選んだ。

なにより下劣な、それを。

男を知らぬ姫にとって、それはもう『傷つけられる手段』として確立されてしまったに違いない。

今後なにかの間違いがあって俺が姫とそういう行為に至ったとしても、姫はきっとこう思うのだ。

『傷つけられている』と。

どんなに感情をこめた愛の行為だったとしても、それは姫には伝わらない。

これはまるで呪詛のようだ。

そう感じた。

俺がかけた姫への呪いのようだ。

誰にも抱かれるなと。

誰に抱かれてもなびくなと。

それは愛の行為ではない。

傷つける手段だと。


決して俺が抱けぬ女への、最高の、戒め。


指一本触れたこともない女を孕ませたという嘘は甘く俺になじんだ。

それを喜んでいることを悟られたくなくてわざと不機嫌そうな顔で支払いに向かう。

それを見透かしたように、店主が人の悪い笑みをよこしてきた。


「別嬪もらって幸せだな、兄さん」

「…果報だと思っている」

「大切にしてやれよ」

「言われずとも」


…いい人間なのだろうと、そう思う。

この人間も、その伴侶も。

他人の事を自分の事のように喜ぶ『人間』の在り方は、時に同胞すらも抹殺する忍の世界に生きる俺にとって異質に思えた。

同じ苦しみを背負い、辛い修行に耐え、同じ釜の飯を食っても、俺達は顔色ひとつ変えず同胞を殺せる。

そういうものだと育ってきた。

妊娠していると思うだけで他人に惜しげもなく優しさをふりまくこの人々と忍という人種はやはり違うのだと実感する。

俺達は、俺は、所詮下賤なるモノ。

『人間』では、ない。

姫も、そう。

俺とは違う。

自分を何よりも下賤と思ってはいるが、姫は真実下賤ではない。

姫が俺を愛することなど、決してない。

決して。


俺は
霧の夜。

朧を請い続ける、形なき闇。


なぜ
魅せられた?

いつ
堕とされた?

それすらももう、霞んで見えない。

心を奪われる要素など数えきれないくらいあった。

けれど、その要素がなくても、その要素がなくなっても、俺にとって姫はもう『特別』以外の何者にもならないだろうとどこかでわかっていた。

運命というものなど、信じたことはない。

けれどもし存在するなら……呪う。

姫は『西の国の正室』。

俺の手の届く人間では…、ない。