私はこんなに至らないのに、彼は『連れて行かない』という選択を選ばなかった。

不出来な私をたしなめることもしなかった。

ただそっと、私が気付くように誘導し、待った。


…震えそうになった。


私の言葉を『待つ』ひとがいること、私の反応を『待つ』ひとがいること。

私の進む先で『待つ』ひとがいること、それがどんなに私に奇跡か、この人は知らない。

じわりと顔が火照る。

…どうして。

…どうして彼はこんなにも優しいのだろう。

どうしてこんな私に良くしてくれるのだろう。

私にはそれが、本当に、わからない。


「…姫」

「………」


じっと黙る。


「朧」

「はい」

「姫」

「………」

「朧」

「はい」

「………」


もう、いいのだろうか。

合格なのだろうか。

何度かのこのやりとりが終えた頃、再び沈黙が降りたので窺うように瞬きをすると、


「…は…っ!!」


突然彼が噴き出した。

それまで場を埋めていた張り詰めたものを一蹴するように、さも楽しげに笑う姿に困惑する。

何が原因かわからないが、彼は私に何やら笑う要素を見つけて堪え切れなくなったらしい。

呆然とする私をよそに、肩を揺らして笑う姿が陽の中で輝いていた。


「…はは…はっ!!」


明らかにすると私に悪いと思っているのかどこか制御の見えるその笑い声は、なぜかとても美しく私の胸に落ちた。

笑い声。
笑い顔。

ひとが笑う、
笑ってくれる、

それが、そのことがこんなに胸に温かいものだと初めて知る。

彼は確かに私を笑っている。

彼がなんで笑っているのかわからない。

けれど全く嫌ではなかった。

むしろとても…
嬉しかった。

彼の笑いは、今までの人間のどこか黒くて重くて苦いものとと明らかに違い、澄んだものに思えた。

笑われている、という言い方は違うと思った。

笑ってくれている、という言い方が一番的確だった。

彼が私で笑ってくれている。

私がいるから彼が今笑っている。


…嬉しかった。

……嬉し、かった。