「街の女子が纏うような服を用意します。顔が知られていないとはいえ、あなたの素性が露呈するのはまずいので、簡易な設定を設けましょう」


話が決まった時点において予定を組む。

やはり遠慮するなどと言われる前に、固めてしまいたかった。

少し高揚したような姫を見ながら、どういった名目で街に降りるか考えた時


…少し、だけ、
欲が出た。


「…夫婦、という事でよろしいですか」


言い淀みながらも口にしてしまった事に、今更ながら後悔する。

だがもう遅い。

…言ってしまった。

もう、言葉は戻せない。


「あなたと私は、夫婦という設定。…それでいいですか」


愚か者。

自分をそう叱咤する。

…夫婦。

別にその設定でなくてもよかった。

庄屋の姫と付き添い、物見の観光人と案内人、なんでもあった。

なのに、一瞬それしか浮かばなかった。

夫婦、それしか浮かばなかった。

明らかに、俺の願望だ。


愚か者。

心が焼ける。

提案されたものに驚いたのか、姫はすぐに頷かなかった。

自分を下賤と称する姫は、そんな自分を偽りとはいえ『妻』と呼ぶ俺が信じられないのだろう。

不必要なほどうやうやしく、俺は膝をついた。


「不快とは存じますが堪えていただきたく」


…線を、引いた。

自分を律するために。

あなたは『姫』。
俺は『忍』。

それを忘れるなと叩きつけた。

姫にも。
…自分にも。

そうして間合いを守った。

そうしなければならないと思った。

情けない。


「…兄妹という道も考えましたが、あなたが私に『くだけた話し方』ができるとは思えませんので…」


辻褄のあう言い訳を構築し、姫を納得させる。

そして、自分も。

…そう。

だから『夫婦』にした。

願望も確かにあった。

しかし、それが一番の理由ではなかった。

そういって自分を納得させる。

思いと現実に押しやられ、ひいては寄せる波のように、俺は翻弄されていた。


「…霧夜様のことは、なんとお呼びすれば?」


その一言で、姫が『夫婦』の案を受け入れたことを悟った。


…いいのか。


自分で提案しておきながら、自分で納得させておきながら、その返答に戸惑う。

偽りとはいえ忍の妻だと言われているのだ。

俺の妻だといわれているのだ。


…いいのか、本当に。


聞き返したくなり、堪える。

己がどんな答えを期待しているのかわからなかった。

曖昧にしておかなければならないと思った。

自分の為に。


「霧夜と」


そう答えてから、改めてこんな事を言っている事に笑えた。