『…おかしくはありませんか』


姫はこう言っているのだ。

この箸の持ち方は俺の目から見ておかしくはないかと。


『おかしくはありませんか?私の箸の持ち方は』


つまり姫は、こう言っているのだ。

自分は箸を扱える。

使える。


だが、自分は箸の正しい持ち方を知らぬ、と。


姫は俺がいることを不快としたのではない。

俺がいることにただ戸惑った。

緊張した。

人が傍にいることに、慣れないが故。

自分は見苦しくはないかと。

箸の持ち方すらまともに知らぬ自分は俺に見苦しく不愉快に映りはしないかと。

そう、問われた気がした。

その問いかけの根底にあるのは、想像もつなかい孤独だった。

姫は礼儀も作法も『誰か』に教えてもらったのではないのだと言ったも同然だった。

立ち居振る舞い、言葉づかい、箸の持ち方まですべて姫は自分で学んだのだ。

おそらく書物で。

文字ばかりのそれは正しい形を文で教えただろう。

しかし姫がその実際を目で知ることは叶わなかった。

だから姫は知らないのだ。

わからないのだ。

自分の箸の持ち方が正しいのか間違っているのかさえ、わからないのだ。

そしてその事実は、姫に『自分の箸の持ち方はおかしい』と思わせていた。

こんな年になるまで姫がそう思い続けた理由。

そんなものはひとつしかない。

姫は、誰かと食事の席を同じにすることを許されなかったという事だ。

一度として。


「…慣れていないのです。誰かが傍にいることに」


そのせいで俺を不快にさせたとでもいうように姫は言った。


「ごめんなさい」


悲しく、それでいてひどく静かなその表情を見ながら、俺は沈むように痛んでいた。

…この姫は、

…この、女は、


独りで
生きて来た。


いついかなるときも独りで生きて来たのだ。

誰もいなかったのだ。

姫の傍には、誰も。