「相変わらず薄暗いのね」


女はそう言い、少し笑ったようだった。


薄暗い。


それは部屋の光彩に対しての感想なのか男の雰囲気に対してのものなのか。

言った女にもそれは掴めていなかった。

男はその言葉に何を返すでもなく、黙々と読書を続ける。

厚いカバーの小難しい本から目を離さない態度は、きっぱりと女を拒絶していた。

女はそれに気付きながらも部屋から出ていく事をしなかった。

男のこんな対応には哀しい事に慣れていた。

いつも女が一方的に喋り、時間が経つ。

男の切れ長の瞳が女を見つめたことはなく、男が女に声をかけたこともまた一度としてない。

男の心は閉ざされていた。

そして女はその理由を知っていた。


「もう百年も経つのね」


女のその言葉に、男の眼瞼が微かに反応する。

どんな話題にも乗ってこない男がことこの話題だけには反応する事に、女は沈むような悲しみを覚えた。

それでも自分を見ない男の心の闇に、息が詰まりそうになる。
男が笑わなくなって、百年が経った。

男の笑顔を奪ったのは女の妹。

人間の男に恋をして泡に消えた、人魚界の末の姫だ。

東の海の魔法使いと呼ばれるこの男は、その妹姫にずっと恋をしていた。

女はそれを、ずっと昔から知っていた。



「馬鹿な子」


そっと女はそう言い、男の部屋に並ぶ怪しげな色の薬瓶を眺める。


「住む世界が違う者に恋をしても、うまく生きられる筈なかったのに」



――姉さま、
わかって。

――あの人が好き。

愛してるの。



激情に浮かされてそう喚き、地上で生きたいと泣き叫んだ妹姫は、残酷な事にその手段をこの男に依頼した。



好きな人がいるの。

愛してるの。

人間になりたいの。

あの人と生きられるなら今までの私なんかいらない。



それはこの男にとってどんなに非情に響いたのだろう。

計り知れない心の傷を思い、女は目を伏せた。



「馬鹿な子」