―――だが、彼女の受けた苦痛に比べたらこんなものはまだ軽い。

まだまだパトリックの気は晴れなかった。

アランの迎えの手を拒み”帰れない”と涙を零した彼女。

あの屋敷で余程辛く苦しい思いをしていたに違いない。

もともと細い身体がさらに細くなっていて、儚くて・・・。

リングを外したら、たちまち羽が生えて天に帰ってしまいそうな、そんな危うい美しさがあった。

あの時アランの前から奪い、有無を言わさずそのまま連れ去ろうと何度思ったか。

突き上がる衝動に何度この身を焦がしたか。

王家の一員としての地位や立場など、捨ててもいいとさえ思った。

しかしそれでは野望を抱くシルヴァに、付け入る隙を与えてしまう。

この国を混乱させ、民を惑わせるようなことは私の望むところではない。

フッ・・私も根っからの王家の人間だな。

パトリックは自嘲気味に口元を歪めた。


しかしアラン、君は彼女の前では見事に一人の男になってしまうな。

あの時君が彼女に何をしようとしたのか、すぐに分かったよ。

ブルーの瞳に威厳を滾らせて書類に目を通すアランをチラッと盗み見た。


「パトリック、国境の報告は届いておるか?」

「あぁ、ヘビンで何か動きがあったらしい。今ジェフに確認に向かわせている。時期に戻るだろう。そういえばアラン、リールが妙なことを言っていた。レオ王子がこの国にお忍びで来ている、と」

「レオ王子が?」

「あぁ、見かけたらしい。見間違いではないのかと言ったんだが、あの姿は確かにそうだったと言うんだ」

「・・・確か、レオ王子は最近婚約を破棄したと聞いておる。お忍びで傷心旅行、と言うわけでもないだろう。気になるな・・・」

アランは机に両肘をついて思案気に口元に手を当てた。

コンコン―――「アラン様、エミリー様付のメイドが参りました」




「―――レオ様、やはりあの娘が預言の者でございます」

黒髪の男が床に跪き目の前の男を恭しく見つめている。

ここはギディオンの国境の一つカラハ。小さな宿屋の一室で、快活そうな男と従者二人が密やかに話をしていた。

「やはりな。で、結局彼女はアラン王子の元か?あの男、もう少し粘るかと思ったが、大した者ではなかったな」

「レオ様、氷の王子には誰も逆らうことなど出来ません。それは例えレオ様でも―――」

脇に控えている男が遠慮がちに口をはさんだ。

「・・・私は正攻法で彼女を手に入れてみせるさ」

「しかし、レオ様。あの者はもうアラン王子の妃になられるのではないですか?」

「そうであったとしても、奪うことは出来るぞ?最終的に我が手元におれば良い。そうであろう?」

彼女はとても美しかった。預言の者でなくとも、是非とも手に入れたい。

レオはグリーンの瞳を愉快気に煌かせた。

「明日、急ぎ国に戻るぞ。支度しておけ」