その夜は眠られなかった。
もう俺の気持ちはミカエル山にひきつけられていた。

団員たちは食堂で寝袋に納まって雑魚寝していた。
俺は起き上がって、団長のもとへ行った。

「団長」

眠りこけている。

「おい、起きろよ、」

団長のほほを軽くたたいた。
うなるだけだ。

「おい、話があるんだ。起きてくれ。」

「う~ん。なんだよ。まだ夜中だろうがよ。」

やっと目を覚ました。
団長を外へ連れ出した。

「サーカスを辞めたい」

寝ぼけ眼だった団長の顔が固まる。

「なんだってえ?」

「辞めさせてくれ。」

団長は深いため息と共に頭を抱えた。

「理由は?」

「さっき、ここの大僧正にここに残らないかとの申し出を受けた。」

「出家する気か?」

「そうだ。」

「なんだって、また。そうだ、お前は弟を亡くしたな。
その弔いのためか?」

「まあ・・・そういうわけでもないんだが」

「じゃあ、どうしてそんな気を起す?
こんな、女もいない、盛り場もない、何にもないところ、
何がいいってんだ?」

俺がサーカスからいなくなることで、
団長に迷惑をかけることはまちがいない。
きちんとした理由を話さなければ納得するはずもない。

「実を言うと、ロマリアで道化師になる前、
俺にはある使命があった。だが、まあいろいろあって、
道を外れてしまったんだ。
だが、オーベール師は、俺にチャンスをくれた。
もともとの使命を果たすための。」

道化の世界では、お互いのプライバシーに立ち入ることはタブーだ。
これだけ話せば充分だろう。

団長は頭をぼりぼりかきながら、煙草を取り出し、ゆっくり火をつけた。
お互い、しばし何もない真っ暗な海面をみつめていた。

「なんとなく、いつかあんたはそんなようなことを
言い出すんじゃないかと思っていた。」

「ほう?」

「あんたの幻灯は、とくに俺の小屋に来てからは、
まるで魔法だ。本当の賢者になれるのは、
地の底を這って生きたことのある奴だよな。
城みたいな修道院に住んで、悟りだなんだって、
いかさまだよ。俺ら以上の。」

「なんだか、わかったようなことを言うじゃねえか。」

「よし。あんたの望みどおりにしてやろう。
その代わり、あんたには死んでもらう」

「ええ?!」