「え、ちょっと待ってください。それはどういうことですか?」

「この山に残る気はないかな?」

あまりに唐突な流れで、黙してしまった。

「あなたは、まだ途上にある。ここでさらなる修行を積むことで、
飛躍できる。」

「私は山を降りてからは非道なことばかりしていました。
とても聖職につけるような体じゃありません」

「空海どのはどうしてあなたを旅に出したのだろう?
あなたが空海どのからいただいた名前、森海には、
空海どのと同じ海という字がある。
おそらくあなたは空海どのに目をかけられていたのであろう。
あなたは高野山をくだって、何を見た?
何を体験した?誰と出会った?」

まっさきにqのことを思った。
たしかに、ずっと山にいたらqと出会うこともなかった。
qとすごしていた数年間にqは肉体も精神も成長した。
それと一緒に俺自身も成長した。

「あなたは、今自分が、道を外れていると思っていらっしゃるかもしれない。
しかし、その、今あなたのいる道も、旅の途上なのですよ。
今一度、顔を上げて空海どののもとへもどるためにも、
われわれと一緒にここで祈り、働く日々をすごしてみないか?」

思いがけない申し出だった。
俺はしばし沈黙した。

「返事はいつでもかまわないよ」

老師は俺の肩に手をおいた。

「さて、そろそろおもてなしをさせてもらおう」

食堂に案内された。

部屋の隅には大きな暖炉があり、焼かれた丸鶏からは油がしたたっていた。
サーカスの連中も修道士たちもやたらとがっついていた。
修道士たちががっついて飯を喰っているのは不思議な光景だった。

食事中私語をしないのは山と同じだったが、
山では米粒ひとつ食らうにも作法があった。
育ち盛りの俺たちが肉体を酷使する修行の後、
空腹で飯をかっ食らおうものなら打たれた。
食事ばかりでなく、便所でも風呂でも、
きびしい作法があった。

それがこの修道院ではそこまでのきびしい規律は見受けられず、
どことなく自由な雰囲気があった。

食事が終わると、われわれの興行へのお返しに合唱が行われた。
団長なんぞは興味もなく、居眠りをしていた。

合唱隊は変声前の少年たちばかり集められていた。
ケルト系の少年たちを見ていると、qが思い出されてならない。

(q、どうしような、誘われちゃったよ俺、べネディクト会に。
たしかに、今のままじゃ、何の進展もないもんな。
ここで修行したら、もしかして、賢者になれるかもしれないよ。
そしたら、空海さまに対して、もう恥ずかしくないよな。)

だが、問題は団長だ。
俺は今サーカスの稼ぎ頭。団長が俺を手放すはずがない。