無名はしばらくの間
修道院に滞在していた。

常に、常に、
どこからともなく
無名のはじく琵琶の
音が聞こえていた。


そして俺たちが
聖堂正面の
仕上げ作業をしている時、
よくテラスに佇む無名を見た。

時には
ほぼ一日中テラスから
海に向かっている
こともあった。

ときおり、
梟のシノープがやってきて、
しばらくして
また飛び立っていった。


単なる漂流者なら、
こんなことするだろうか?

無事助かったのなら、
さっさと自分の故郷に戻るか、
それでなかったら
修道士を志望するか。

無名は、
そのどちらでもなかった。



無名には、
何か目的があるのでは
ないだろうか?



その夜も、
琵琶の音がどこからか
聞こえていた。

「おまえ、知ってる?
ケンタウロスの話。」

又三郎の家で、
俺は又三郎に寄りかかって
寝そべっていた。
だが狭いので
足を折り曲げていなければ
ならなかった。

「リーグヴィッツの話?」

又三郎は
俺の伸びた髪の毛を
いじくっていた。

「ロマリアより
東にある町では
よく集団で襲ってくるって、
せむしがまた
騒いでたんだ。」

「せむしが言ってたの?
じゃあ、
そんなに信用できないね。」

俺は又三郎の人差し指を取り、
なにげなく
自分の顎にすべらせた。

「はたして、
全くのでたらめだろうか?」

「ケンタウロスなんか、
見たこと無いよ。
馬みたいに強い足で走って、
人間みたいに
弓矢で襲ってこられたんじゃ、
たまったもんじゃないよ。」

又三郎は手ぐしで
俺の髪をすいた。

「だいぶ、
目立たなくなってきたね。」

「ん?」

又三郎は
てのひらでやさしく
俺の左の頬から首を撫でた。

「火傷の跡。」

「ああ、そうか?
自分じゃ見えないから
あまり気にしてないんだ。
おまえはやっぱりいやなの?」

「ミゲーレが傷つくのは
悲しい。」

俺は体をねじって
又三郎にくちづけをした。

そして又三郎を胸に抱くと
じんわりと心地よかった。