車が停車していたのは、なだらかな坂道だった。前方が上りの、後方が下り。ガードレールもないような古い道路で、周囲はミカンの段々畑。
そんな場所で、車は俺たちを乗せたまま明らかにジワジワと後退していた。
要するにマヌケなうちの親父が、サイドブレーキをかけ忘れたまま出て行ってしまったのだ。
俺たちはパニックになった。いや、正確には、“俺は”。
「ぎゃあーっ! 助けてー!」
必死で叫んだが、ことごとくマヌケな親父は俺のSOSにまったく気づかない。たぶん知人宅でのん気に茶でも飲んでいたのだろう。バカ親父。
「しっかりして、コーちゃん!」
気丈にもユイはそう言って、何とか車からの脱出をはかろうとドアに手をかけた。が、スライド式のドアは重く、幼稚園児だったユイの力では開かない。
「もうダメだー! 死ぬー!」
「死なない!」
「来週からアンパンマンの映画始まるのにー! 死にたくなーい!」
「死なない!」
「嫌だあー! 俺、もっとユイちゃんと遊びたかったよー!」
「死なない! 大丈夫だよコーちゃん!」
完全にパニックで泣き喚くばかりの俺を、ユイはその小さい体で必死に抱きしめた。
そして、次の瞬間。
何を思ったのか、突然大声で歌いだしたのだ。