カラン…。

入口の扉のベルが鳴る。

フワリと紅茶のやわらかい香りが流れて来た。

店の中は少し薄暗くて、ほっとする。

「いらっしゃい。」

フワリと香った紅茶のような、やわらかい声がカウンターから聞こえた。

「お好きなところにどうぞ。」

やわらかな声に誘われるまま、カウンターの左から二番目席に座った。

ぐるりと見渡すと、客は俺一人だった。

カウンターの席が六席、二人掛けのテーブル席が三つ、そして店の奥に古いアップライトのピアノが置いてあった。

(…あれ、ちゃんと音でんのかよ?)

どうでもいいことを、ぼーっと考えていると、カウンターからまた声がした。

「お決まりですか?」

はっとカウンターに目をむけ、その声の主を見る。

年の頃は70歳くらいだろうか。

俺を見ながら注文を待ってるようだ。

「あ、えと、今香ってる紅茶をいただけますか?」

俺が少し慌てて答えると、彼は少し笑って頷いた。

「少々おまちくださいね。」


そう言うと、カウンターの後ろからカップを取り出し、蒸らしていた紅茶を注いだ。

俺はふと気付いて、慌てて聞いた。

「すみません。その紅茶、あなたが飲むためにいれてたんですよね。」

すると彼は、少し驚いて、そして笑って言った。

「かまいませんよ。私はいつでも飲めますから。さあどうぞ、美味しいですよ。」

コトリと目の前に置かれた紅茶は、とても綺麗な色をしていた。

「すみません、いただきます。」

ぼそっとつぶやくと、俺はカップに手を掛けて、一口飲んでみる。

すると、この店の扉を開いた時の、あのフワリとした香りが広がった。
「あ…、いい香り…。」

「それは良かった。」

彼はもう一度、深くしわをきざみながら、やわらかく笑った。