俺は、イタリアの高校に進学した。
ピアノを弾くことに、ためらわなくなったのをきっかけに、ひたすら弾いた。
コンクールで獲得した奨学金と、特待生としての留学で、3年間をイタリアの音楽学校で過ごした。
何ごともなかったかと言えば、嘘になる。
世界にはすごい奴等がうじゃうじゃいるってことが、分かるくらいには色々あった。
でも、どこにも俺の心を揺さぶるような音楽はなかった。
それはまた、俺も同じだった。
納得のいく音楽を、まだ自分の中には見つけられない。
なのに回りの反応は違うのだ。
分かってはいたけれど、親の存在というのは大きい。
どこに行っても、両親の名が先に出る。
良いか悪いか、俺の名前は一人歩きする。
だから高校を卒業する頃には、オーストリアの音楽大学から受け入れたいという連絡が来た。
少し環境を変えたかったというのもあった。
だから、俺は深く考えずにオーストリアへ向かった。
ピアノを弾くことに、ためらわなくなったのをきっかけに、ひたすら弾いた。
コンクールで獲得した奨学金と、特待生としての留学で、3年間をイタリアの音楽学校で過ごした。
何ごともなかったかと言えば、嘘になる。
世界にはすごい奴等がうじゃうじゃいるってことが、分かるくらいには色々あった。
でも、どこにも俺の心を揺さぶるような音楽はなかった。
それはまた、俺も同じだった。
納得のいく音楽を、まだ自分の中には見つけられない。
なのに回りの反応は違うのだ。
分かってはいたけれど、親の存在というのは大きい。
どこに行っても、両親の名が先に出る。
良いか悪いか、俺の名前は一人歩きする。
だから高校を卒業する頃には、オーストリアの音楽大学から受け入れたいという連絡が来た。
少し環境を変えたかったというのもあった。
だから、俺は深く考えずにオーストリアへ向かった。