本当にそう思った。

「誰かの…、誰かの為に弾いたり、誰かを思って弾けば、あなたみたいに弾けるのかもって、そう思っています。」

霧野さんは静かに俺の言葉をきいてくれた。

「でも俺、霧野さんみたいに、誰かを強く思ったことない…。わからないんです。どうやって誰を思えば良いのか…。やっばり…俺って普通じゃないのかな…。どっか欠けてるのかな…。」

それ以上は何も言えなかった。

そして気付いたんだ。

俺はピアノを弾く事が嫌いなんじゃないんだ。

どうやって弾いたら良いのか、分からないのが嫌だったんだ。

「君はまだ若い。」

霧野さんは、少し微笑んで続けた。

「まだ14歳だろう?その歳で、誰かの為に、なんて、できるものじゃないさ。」

彼はカウンターに入り、いつものように紅茶を入れ始めた。

「でも、俺、どうやって弾いたら良いか、…もう頭の中、ぐちゃぐちゃで…。」

「君も、きっといつか、その人の為だけに弾きたいと、思う時がくるだろうさ。」

コポコポとお湯を注ぐ音が響く。

「その時の気持ちなんて、今から考えたってわからないさ。だから…。」

またフワリとやわらかい紅茶の香りがした。

「だから今は、その時の為に、いつか出会うその人の為に、ひたすら弾けば良いんじゃないのかね。」

俺をカウンターに指で招いて、座らせる。

目の前に置かれた紅茶の湯気で、瞳がかすむ。

「色んな曲を知って、色んな所に行って、色んな人に出会って、心を肥やしておくと良い。そうやって心は育つ。」