霧野は、楽しかった。

こんなにピアノを弾くことが楽しいなんて、知らなかった。

そして気付いてしまったのだ。

名声とは、自分には必要ないものなのだと。

自分の演奏を聴いた人が、幸せになれる。

それが自分の望む形なのだと。

だから毎日弾いた。

毎日、彼女と出会ったカフェで弾いた。

知らぬ間に、霧野のピアノ目当てに来る客が増えた。

皮肉にも、名声はいらないと思った途端に、人々が彼の音楽に心を動かされた。

「秀一のピアノ、とても気持ちがよいわ。」

ジーンはそう言った。

そして二人は、恋をした。

霧野のピアノは、もっと優しくなった。

仕事も入った。

そこそこ生活もできるようになり、気付けば、ジーンと過ごす二度目の冬を迎えていた。