俺は必死に考えた。

霧野さんの、大橋ピアノに逢えた。

こんなにもたくさん弾けて、こんなにも嬉しかった。

それだけでも奇跡なのに、このピアノを初めて逢う俺に譲る?

「私はもう歳だわ。このピアノ、確かに気に入っているのよ。でももっと切望していて、大事に思ってくれる人がいるなら、迷わず差し上げるわ。ピアノだって喜ぶでしょう?」

藤堂さんは笑って、そしてもう一言。

「きっと、その霧野さんも。」

涙が出た。

自分でもわからず泣いた。

俺にはもったいない優しい気持ち。

もう、素直にならざるを得ない、穏やかな時間。

全部、そう全部、霧野さんが導いてくれたものだ。

霧野さんに出会わなければ、俺はここにはいない。

この優しい空間は、俺の前には現れなかっただろう。

「ありがとうございます。」

さっと、滲んだ涙を指で拭き、俺は頭を下げた。