時計をみると、もう5時をまわっていた。

まったり気味に椅子に座りなおすと、彼が言った。

「面白いね、それ。楽譜を忠実に再現して書いてるんだね。速さや強さの表示まで完璧だ。」

「…え…?」

完璧だとわかるということは、この人も音楽に携わっている人なのか?

またもや話す言葉をさがしていると、察したように彼は言った。

「私も、昔ピアノを少々ね。」

「だからピアノが置いてあるんですね。」

奥のピアノに視線を向けると、彼はカウンターから出て来て、ピアノの前に立った。


「弾いていくかい?」

一瞬俺は顔を歪めてしまった。

「いえ、弾きたくないので、今日はレッスンさぼってきたんです…。」

歯切れの悪い返事をすると、彼は頷いて笑った。

「じゃあ聴くのはどうだね?」

この人は何がしたいんだろう?


「へたくそなじじいのピアノだけれど、少し聴いてみないかね?このピアノ、良い音でね。」

言いながらピアノの蓋を開ける。

見たことのない名前のピアノだ。

(OHHASHI…?聞いたことないな…。っていうか音でんのか…?)

「何かリクエストはあるかい?」

聴きたいと返事もしていないのに、彼は入口の扉の看板をcloseに掛けかえた。

まぁいいかと思い、座っていた椅子をピアノの方に向け変えた。

「好きな作曲家はいるかい?」

再度の問いにようやく俺は答えた。

「特に好きな作曲家はいないので…。」

彼はとがめるでもなく、笑うでもなく、ただ残念そうに言った。

「そうかい。それはまた随分惜しいね。」

何が惜しいんだろう?

「じゃあ、私の好きな曲を弾かせてもらうよ。」

にっこり笑うと、彼はピアノの椅子に座り、両手を鍵盤の上にすべらせた。