冬の風は冷たく、まるで容赦がない。

 少女漫画や恋愛小説では「澄んでいる」だとか「透き通っている」だとか綺麗な形容のされ方をするが、バイト帰りの私にはひたすらに刺々しく、冷たいものにしか思えない。冬の空は澄んでいるから星が綺麗に見えるね、なんていうのはこの寒さの中で空を見上げる余裕のある人間に限った台詞だ。
 こちとら星なぞ見上げていたら首元から凍って死んでしまう。
 マフラーに口の上までしっかり埋めて、肩をいからせながら、ただ真っ直ぐに前だけを見据えて歩く。歩く。ひたすらに歩く。
 赤い屋根の家が見えたら、私の住むアパートまでもう少し。必死で歩いているせいか、寒いのに息が跳ねる。耳が冷えすぎて耳鳴りすら覚える。でも、家まで、あと、もう少し。
 今月の給料が入ったら自転車を買おう、と思い続けて間もなく半年だ。クリスマスも近いし、今月こそ買ってやろう。赤いボディのかわいいやつを。独り身で黙々とレジ打ちを続けてきた自分へのご褒美だ。…というふうに表現してしまうとなんだか妙に可哀想だが、他にご褒美をくれる人なんていないので可哀想であることに変わりは無い。

 駅から若干距離があることだけが欠点な、そこそこ綺麗なアパートの階段を駆け上がる。自宅は2階だ。エレベーターなんて待っていられない。
 ゴールは目前だがペースは決して緩めずに、鞄の中から鍵を取り出し、扉の前に立った。冷えきった指を震わせつつもなんとか鍵を回し、玄関先で感動のゴールを決めて涙ながらに倒れる自分をイメージしながら。

 思い切り玄関扉を開いた。…ら、隣の家の玄関扉も開いた。

 いつの間に連動するようになったの?と思わず発しかけた言葉を飲み込み、それからたっぷりまばたき2回分の時間で、そういえば隣は空き部屋だったことを思い出した。そして今朝、1階に住む主婦さん達が色めきたって新しい住人について噂していたことも思い出す。あれって、私の隣だったのか。普通にびっくりだ。せめて管理人さんから一言欲しかった。
 扉の陰から人影が現れる。
 黒いスーツに黒のロングコート。それらをスマートにすっきりと着こなしたその男は、黒の皮靴に銀色のアタッシュケース、という如何にもなブツを装備している。
 これはやばい人種が隣に来たかもしれない。
 なるべく視線を合わせまいと、私はなるべく俯き気味になりながら自宅へと体を向けた。

「君、そこに住んでるの?」