「先生、先生、水谷先生……」

 体を揺すられる。

「こんな、ところで眠っていては駄目ですよ。医者の不養生って、このことですよ」

 甲高い声で、看護士の伊藤さんが私を揺すっている。

「もう、早く起きてください」
 


 ここは?
 

「ここは?」と、声に出してみた。

「なに言っててるんですか!水谷先生の瞑想の小部屋ですよ」

「ここにいた、患者さん……」

「水谷先生、ここは、物置ですよ」


 私は、わけがわからずに、ノロノロと立ち上がった。


「まあ、先生が枕にして寝ていたのは、懐かしい……」

 伊藤さんは涙声になった。

 私が枕の代わりにしていたのは、古い旧式のワープロだった。

 「これ、どこにあったんです?」
 
 どこにあったのかと尋ねられても、私にはわからない。気づいたら、それを抱きかかえるようにして眠っていたらしい。


「これは、十年ほど前に、この病院で婦長をしていた飯塚さんのものなんですよ。当時はね、ええ、ワープロなんて珍しいものを買い込んで、飯塚さんったら夢中だったんですよ」

 伊藤さんは、昨日のことのように話し始めた。

「飯塚さんは、私が一番尊敬していた人です。女性としても、看護士としても。結婚は二度されたんですが、どちらも飯塚さんより先に逝かれて……そのうえ……人一倍苦労された人でね、苦労されていた分、心の温かい穏やかな人でした…」

 私は、なんだかよくわからないままに、人のいいおしゃべり好きな伊藤さんの話に耳を傾け続けた


「飯塚さんは、ご主人を亡くされてから、八年前にあの大地震でご家族や近親の方々を亡くされたんです。家族旅行にと決めていた場所に飯塚さんはいけなかったんです。どうしても、出勤しなければならなくなって。とても残念がっていたけど、お土産何かしらって、私たちを笑わせて……

その夜でした……ご家族の旅行先に大地震が……それからしばらくしてからのことでしたよ。飯塚さんに末期の子宮癌が見つかって……誰に看取られることもなく……この小さな病室で亡くなったんです。水谷先生がお好きなこの部屋は、飯塚さんも大好きでした。今はもう病室として使っていない物置だっていうのに、桜の木があるからって……」