「おじいちゃんが、そろそろ危ないかもしれないよ」




夜中、そんなあやふやな電話が母からあった。
明け方にもう一度、祖父が亡くなったと連絡があった。


私は地元から離れ、他県で就職していた。
たいした理由はない。
地元での田舎暮らしが嫌だったのだ。


私は職場に連絡し、すぐに高速道路に乗り、実家へと向かった。





高校を卒業してからずっと他県に住んでいた私は、祖父とまともに会話をしたのはいつだったか。


地元にいたときだって私は、自分の趣味ばかりに没頭し、家族との会話を面倒くさがった。
同じ敷地内にあるものの、祖父と祖母の家は別宅だったので、顔をあわせない日もあったくらいだ。

核家族が増えてきているこの頃ではあたりまえのことかもしれないが、もちろん、祖父は寂しそうだった。



私や妹が学校から帰ってくる時間になると、いつも祖父が家の前に立っていた。
時には不審者のように家のまわりをウロウロしていた。

私たちが無事家につくまでのあいだ、落ち着かないのだ。
本当に心配性なじいさんだったらしい。


現金な私はおこづかいをくれる時だけは祖父の家へ飛んで行った。


「金やるときしかこっちぃ来んのう」
「じいちゃんいつ居(死)んでもええのう」

そんな嫌味をよく言っていた。

当時はただ気まずい気持ちになったものだが、今思い起こすと、寂しがっていた祖父の気持ちが胸に刺さる。




私が就職をしてから祖父が肺癌にかかり、1年ほど小さな地元の総合病院に入院していた。
最後に見舞ったときは、気管切開をしており、すでに会話はできなかった。



祖父に、ひとつも孝行した記憶がなかった。