何年か前の今日は、一つの命が消えた悲しい日。
その命に花を供えに来た事は決して楽しい思い出じゃない。
けど、先生の涙を初めて見て、本当の傷の深さを知れた大切な思い出。
昔の事だから今は大丈夫、というのは間違いで。
心についてしまった傷はどれだけ時が経っても消える事はなくて、大丈夫なんて考えはただの強がりだった。
埋まることのない傷は、少しずつ浅くしていくしかないんだよね…。
「伊緒、もう一回…」
「ん……」
私が先生の傷を治してあげる事は出来ない。
でも、今日みたいに一緒に居る事はできる。
少しでも先生の傷を浅くできるように、頑張って支えるよ。
目を閉じて見えなくても、頭の中にはしっかりと空と海の輝きが残っている。
きっと、今日の事は私達にとって忘れられないものになる。
二人の絆を強くしてくれた、そんな大切な思い出に。
「今度は笑って来たいな。」
「先生なら大丈夫ですよ。」
唇を離した先生は、もう一度私を抱きしめる。
首に顔をうずめるから、髪があたってくすぐったい。
「俺一人じゃ無理だろうなぁ…。」
「へ?」
「伊緒が居ないと笑えない。だから、これから先は一緒に来てほしいんだけど……ダメか?」
「――っっ先生!!!!!」
「うおっ??!!」
大丈夫。
これからどんな事があっても、絶対乗り越えていける。
一人では弱いかもしれないけど、二人なら強くなれるから。
そして、一つずつ乗り越えていく事で、私達はもっと強くなれる。
何の保証もないけど、何故だかそう思えるんだ……。
――――――――………
暑い夏を越え、厳しい寒さの冬を過ぎて少し暖かくなり始めた三月。
私達は三年という長くて短い期間の節目を迎えた。
『只今より、第三十五回卒業式を行います……』
気がついたら始まって、あっという間に終わりを迎えた高校生活。
理由も思い入れもなく入学した学校だけど、いつのまにか大切なものになっていた。
新しい友達や部活のチームに出会わせてくれて、多くの思い出をくれた。
一度じゃ思い出しきれないほど、本当に沢山。
『卒業生、起立。』
今日で最後。
生徒として学校に来るのも、この制服を着るのも。
もうあの長い通学路を自転車で走ることもないんだね…。
『校歌斉唱。』
私を一つ二つと大人へ近づけてくれた大切な場所。
絶対に、忘れないよ…。
知佳、優羽。
二年生からは離れちゃったけど、一年生の頃はいつも傍にいて助けてくれたね。
勉強を教えてくれたり、恋話を聞いてくれたり。
何があっても元気な二人に、私は何度も救われたよ。
詩衣、聡美。
私達の部活の同世代は計六人。
仲が良くて、よく皆一緒に行動していたけど、その中でも三人でいることが一番多かった。
チームの事を考えて、話して、心配して。
大きな壁にぶつかった時は泣いたりもした。
何度も辞めたいとも思った。
でも、それでも辞めずに最後まで続けれたのは、やっぱり二人のおかげかな。
恵那。
三年間ずっと同じクラスになれたね。
二人で過ごせた時間は、本当に大切な時間だった。
恵那は誰も気づかないような変化にも気づいてくれて、いつも私を支えてくれたよね。
先生との事も、恵那が居なかったら続けれてない。
不安に押し潰されて、私はこの恋を投げ出してしまっていた。
次は、私が恵那を支えるよ。
初めての恋だもんね。
絶対うまくいくように、全力で応援するから。
だから、幸せになってよ?
もちろん、進藤先生と――…。
進藤先生。
初めて会った時はこんなに深く関わるなんて思わなかった。
でも、気がついたら進藤先生は大きな存在になってて。
私にとっても先生にとっても、いなくちゃ困る人になってた。
ドSで、鬼畜で、何を考えてるか解らない。
だけど、何気なく優しい。
なんども助けられたし…。
何だか、そういう優しさがどことなく恵那と似ている気がする。
きっと二人ならうまくいきますよね?
私が知っている進藤先生を信じてますから。
恵那を守ってあげて下さいね――……。
「いーお!!何考えてるの?」
「あ、いや…」
「みんな教室戻ってるよ?私達も行こ?」
「うんっ」
それと、もう一つお願いを聞いてもらえるのなら。
私と先生と、恵那と進藤先生で、ダブルデートがしたいです…。
「ねぇ伊緒。この後少し付き合ってくれる?」
体育館から教室に移動する途中、恵那が歩くスピードを弱めた。
「うん、私は大丈夫だけど…どうしたの?」
三月に入ったといってもまだ寒い気温。
私達の身体に冷たい風が触れる。
「行きたい所があるんだぁ。多分、伊緒が行きたい所と同じだよ。」
「ってことは!!!!!」
「うん、今日言おうと思ってさ。」
私が行きたい所。
それは勿論教官室で。
逢いたいと思っている人は違うけど、目的は同じ。
素直な気持ちを伝えに行くんだ。
「ついにきたんだね。二人が付き合える時がさ。」
「…まだ解んないよ?」
「ふふっ、そうだね。」
なんて言うのは嘘で。
解るよ、絶対絶対うまくいくって。
だって恵那の進路が決まるまで待っててくれたくらいだよ?
大切に想われていないはずがない。
お互い同じくらい相手の事を考えてる。
落としていたスピードをもう一度戻し、足早に進んでいく。
「今日で最後か……」
「うん。伊緒とも中々会えなくなるんだね…。」
「………うん。」
馴染んだ環境を離れるのはあっという間。
直ぐに新しい環境がやってくる。
何かを失う訳じゃないけど、馴染んだ環境を離れるのはやっぱり怖い。
最初は一人ぼっちで何も解らないし…。
「頑張ろうね、お互い。」
「うんっ、頑張ろう!!」
それでも立ち止まってはいられないから。
新しい出逢いを信じて歩いていくしかない。
「伊緒っ、急ご!!」
「うんっ」
恵那が進む道と私が進む道は全く違う。
学びたいことも、やりたいことも。
恵那が進むのは、看護士の道。
沢山勉強して、一年の頃から決めていた大学に無事合格した。
私は―――…バコンッ!!!!!
「いっったぁっ!!!」
教室の扉を開けた瞬間に受けた衝撃。
何かが思いっきり頭にぶつかったような…。
「担任より遅い到着とは…良い度胸してますね、片瀬さん。」
…お、おぉ進藤先生がにこやかに笑ってるではないか。
これは中々ヤバイ気が…。
「あー…ちょっと色々ありまして。……って、何で私だけ?!!」
「え?僕には片瀬さんしか見えないですよ?…あ、日頃の行いの違いですかね。」
なんですとぉぉぉぉお??!!
恵那は良い子だから見えないと!!?
えこひいきかっ!!!
いくら好きだからって甘すぎる!!
「片瀬さん。何か言うことありますよね?」
「…すいません、でした。」
「はははっ不満あり気ですね。少し僕もからかいすぎましたかね、すいません。じゃあ二人共席に着いて下さい。最後のHRを始めましょう。」
「はーい。」
「ふふふっ、はい。」
そりゃ不満はありますよね。
クラスの皆が私を笑ってるし。
何故か恵那も爆笑だし。
そして進藤先生は謝る気ゼロって感じの笑い方だったし。
「進藤め…」
「片瀬さーん?何か言いましたか?」
「あ、い、いえっ何も!!」
クラスの皆が知らない裏進藤先生が私を見て笑う。
その笑顔に背筋を凍らせながら、自分の席へと座った。
窓側の後ろから二番目の席。
ここからはグラウンドも教室も見えて居心地がいい。
それに、後ろから斜め前の席に座る恵那を見るのが楽しかったりする。
ついつい進藤先生を目で追ってしまっている所とか、目があってしまった時のリアクションとか。
見ているとニヤニヤが止まらない。
「では皆さん。改めて卒業おめでとうございます。」
…それが今日で見納めかと思うと、やっぱり寂しいな。
恵那に向けていた視線を外へと向け、ゆっくりと長い息を吐く。
そして、吐き終えてから進藤先生の方へと視線を変えた。
優しく笑う進藤先生の周りには、温かい雰囲気が漂っている。
「このクラスは、僕が教師になって初めて担任を任されたクラスです。初めのうちは解らない事も多く、きっと皆さんには沢山の迷惑をかけてしまった事でしょう。」
迷惑なんて…そんな事ない。
進藤先生は最初から最後まで完璧な担任だった。
それは私だけじゃなくクラスの皆が思っていること。
「新学年が始まる前は緊張が大きすぎて、時間が経つのが遅かったのを今でも覚えています。
…でも、始まってから終わりを迎えるまでは本当に早かった。」
話しを聞いていくうちに、胸の辺りがキュウッと締め付けられるような温かさが帯びてくる。
進藤先生も私達と同じ気持ちでいてくれたんだ…。