先生と教官室2〜新しい道〜







「あなたが一緒に行く相手は俺じゃない。」






一筋だった涙が無数に増えていく。






「幸輔ともう一度話して下さい。あの時の事ももう一度謝るべきです。」







「……そう、ですね。グスッ」






秋山先生の行為にショックを受けた幸輔は、あの時逢うこともせずに別れを告げた。






大学生といえど大人にはなりきれていなく、命の重さを始めて知った俺達はただ漠然として受け入れる事ができなかったんだ。







「もう二度と同じことを繰り返さないように。約束してください。」






「…もちろんです。」






頬を涙で濡らした秋山先生が、少しだけ微笑んだ。






この人の歯車はどこで崩れてしまったのだろう。






昔はこんな性格の人ではなかったんだ。






俺の友達が選らんだ大切な人。





本当はさっきのように優しく微笑む、暖かい人なんだ。







「私、今から幸輔君のところに行ってみようと思います。会ってもらえないかもしれないけど、話しがしたい。」







「ははっ大丈夫ですよ。あいつなら会ってくれます。」






「…そうですね。優しい人ですから。」







昔の秋山先生に戻っている気がした。





楽しく過ごしていた、昔の秋山先生に…。





こんな風になれるなら、もっと早くに向き合えばよかった。






逃げずに真正面から。





そうすれば、俺も秋山先生も、それから幸輔も伊緒も傷つく事はなかったんだ。
















「じゃぁ…失礼します。」





「はい、お気をつけて。」





あれから、今までの俺に対する勝手な行動を何度も謝ってくれた秋山先生。






帰る時には来たときの様子が嘘かのように、別人の顔つきになっていた。






歩く後ろ姿は凛々しくて、抱えられているヒマワリはさっきよりも輝いて見える。






あの姿を見れば幸輔も解ってくれるんじゃないかな。






自分の事しか考えてなくて、優しさや温もりを忘れていた秋山先生はもういないって。







今の秋山先生は、幸輔が好きだった秋山先生だっていうことを。







エレベーターへと姿を消す瞬間まで、その後ろ姿を見送った。







秋山先生と幸輔の話し合いがうまくいくように願いながら。








「甲田先生、本当にありがとうございました。」






すると、そんな俺の視線に気づいたのか、秋山先生はそう言ってお辞儀をしてからエレベーターへと姿を消していった。








今までは想像もできなかった展開に少しだけ戸惑いながらも、心は温かかった。







握りしめていたドアノブをゆっくりと引き、自分の身体を部屋の中へと戻した。













蒸し暑い外から、少し涼しい玄関へ。





「あ…れ…?」






すると、さっきまで気を張り続けていたからか急に身体の力が抜けていった。






身体はまるで鉛のように重く、力が抜けた足では支える事などままならない。






ズルズルとドアにもたれながらその場にしゃがみ込んだ。







『あの子はあなたと私が殺したの!!』






『たとえ生まれる前でも小さな命を奪った犯罪…』





動かない身体とは反対にフル回転している頭には、さっきの秋山先生の言葉が響き続けていく。






あの時、電話の音で聞くことはなかったが、秋山先生が言いかけた言葉は嫌でも解る。






『小さな命を奪った犯罪者』






そう言おうとしてたんだ。







「―――っっ」







震える身体がまるで心を表しているようだ。






考えたくなくても無意識に浮かんでくる言葉はぐるぐると回り続けて終わりがない。







生まれるはずの命を奪った。






あるはずの未来を奪った。







見ないようにしていた事実が次々と降りかかってくる。









過去を引きずる事はよくないと言ったのは俺なのに、一番引きずっているのはその俺じゃないか…。







その場に立ち止まったままで、一歩も前に進めないまま。







一体俺は今まで何をして……







「先生っっ!!!!!」


















俺を呼ぶ声に顔をあげると、首に暖かいものが回った。






身体全身に感じる温もりに、顔の横からする同じシャンプーの香り。






冷え切った内側が暖められていくようで物凄く気持ちが良い。







「大丈夫、もう大丈夫ですよ。」








「い…お……」







「先生が落ち着くまでずっとこうしてますから。」







もう一度力強く抱きしめ直された腕が俺を包んでいく。







俺を包むには小さすぎる身体なのに、心はこんなにもしっかりと包んでくれる。








飛び込んできた伊緒の腰に手を回して自分へと引き寄せる。







夏の暑い室温に伊緒の体温が重なって、更に近くに伊緒を感じる。







「…私何も見てませんから。素直になって下さい。」







体温の温もりと言葉の温もりが不安を安心へと変えていく。







心の底にしまわれていた闇は涙へと変わり、いくつもの筋となって頬を流れていった。








ずっと流れなかった涙。







幸輔の子供を殺してしまったと解った時も流す事はなくて。







きっと、俺はずっと泣きたかったんじゃないかな。






泣いて助けを求めたかったんだ。







「ごめん…ごめんな、伊緒…」








肩に感じる冷たさは伊緒の涙を表していて、俺の言葉に首を振る度それは増していく。







「…ありがとな。」









抱きしめあう腕を離すことなく、ゆっくりと心の整理をした。






















「わぁー…キレイですね。」








「あぁ、ほんとだな。」








長く出ている陽がすっかりと落ちて真っ暗となった夜。







二人で手を繋ながら歩いていると、空には沢山の星がでていた。







「星がキレイな日でよかったなぁ。喜んでくれてるといいけど。」








「大丈夫、きっと喜んで笑ってますよっ!!!」








空を見る目を下へと向ける。






視界一杯に広がるのは、星の光を受けてキラキラと輝く一面の海。







久しぶりに来た海。






初めて先生と来た海。






今日は遊びに来たわけでもデートをしに来たわけでもなく、二人で花を供えに来た。







海の真ん中辺りまで歩いた所で、先生はゆっくりとしゃがみ花を置いた。





二人で選んだ花が潮風に揺れて甘い香りを散りばめ始めていく。








「…ふぅ」






先生は少し深めに息を吐き、静かに目を閉じて海へと手を合わせた。







私も同じように手を合わせてみる。







静かな空間では海の流れる音だけが聞こえて心地いい。








少ししてから横を見てみても、先生はまだ目を閉じていた。







真剣な顔かっこいいなぁ。







寝顔とはまた違う感じでドキドキする。
















これでもかって程に先生の顔を見つめていると、うっすら目が開いた。






「……ごめんな。」







そう言って小さく呟かれた言葉は、私にじゃなく海へと響いていく。







真剣な時のいつもより少し低い声。







目の下にある微かな涙の跡をたどるように一筋の涙が流れていく。








たった一滴流れ落ちた涙は海の光を受けて輝いた。








寂しげで伏し目がちな先生の横顔と輝く涙が重なった姿が、私の目に飛び込んでくる。








「……伊緒?」







かっこいいとか、そういう感じじゃない。







ただ、すごくキレイ。







先生の横顔も、涙も。







何もかもがとにかくキレイで目が離せない…。








「どうした?おい?」








動かない私の頬に先生の手が触れた。







その瞬間、自分の頬にも涙が流れていることに気がついた。








「俺が泣いたからか?」








「あ、いや…違います。先生の横顔があまりにキレイで…」







「ふはっ何だそれっ!!」








「えへへ…」







やっと見れた笑った顔。






今見せている笑顔は偽物じゃないよね?







さっきの真剣な顔もキレイな横顔も好きだけど、やっぱり私は先生の笑った顔が一番好きだよ。


















「先生、もう我慢しないで下さいね。」







「え?」







「辛いなら辛いって言ってください。泣きたいなら思いっきり泣いて下さい。どんなに強い人でも必ず弱い部分はあるんです。だから、たまには私に甘えて下さい。」








秋山先生と先生の今日の会話を聞いて思った事を言葉へと変えて伝えていく。







すると、笑っていた顔が少しずつ真剣な顔へと戻っていった。







頬に触れる先生の手に自分の手を重ねる。







「秋山先生が先生に助けを求めていたように、先生も私に求めて下さい…。」








「いお……。」








「もう先生は一人じゃないはずです。頼りにも力にもならないけど、でもっ、それでも私が傍にいま…キャッ!!」








途中まで伝えられた言葉の続きは身体へと吸収されていく。







私の顔はすでに先生の腕の中で、強く抱きしめられているから話す事ができない。







でも、きっと全て伝わってる。









先生はエスパーで、私の気持ちはいつもお見通しだから。









「伊緒が傍にいて、本当に良かった…。」








涙が更に溢れていく。







求められる事って、こんなにも嬉しいんだ…。








好きの言葉の何倍も心に響いてるよ。


















「我慢してるつもりはなかったけど…もしかしたら無意識にしてたのかな。」







普段の姿が偽物だとは思わない。







でも、今日の姿も先生の一部であることも事実。






誰よりも強いけど、誰よりも弱い。







そんな矛盾している姿を私は知ってる。








「伊緒に甘えてない訳じゃない。むしろ甘えっぱなしだぞ?」









震えた声でも低い声でもない甘い声。







その声が耳に響くだけでドキドキしてしまう。







「あ、でも…そんなに言うなら一つ甘えようかなぁ。」







「??!!!」








抱きしめられていた身体を解放されたと思った瞬間、肩を強く後ろへと押された。







「え…ちょ……」







ヤバい気がするのは私だけでしょうか。







ハッキリとは見えなかったけど、チラッと見えた顔がニヤツいていた気が…。







それに、この体勢はおかしくないですか?







肩を押されて見事に後ろに倒れた私。







そんな私の顔の横に手をつく先生。








…これは俗に言う押し倒されたって奴では?


















「なぁ伊緒。」






「は…い?」







ちょ、近い!!顔!!とゆうか全身!!







息するのすら緊張するじゃん!!








「そんな体勢して…誘ってんの?」








はぁぁぁぁぁぁっっ??!!!!!








そんな体勢って、全部先生がやったのに!!







自分の体勢と先生の言葉からくる恥ずかしさを取り払おうと勢いよく起き上がる。








ついでに先生に頭突きをお見舞いしようと思ってたのに。








私が起き上がるのと同時くらいに、先生も身体を起こした。








「っっ!!!」







そして、起き上がる私の唇に合わせるように、先生は自分の唇を重ねてきた。








「…………。」








何か自分からキスしたみたい。








いくら起き上がった勢いとはいえ、ドキドキが半端ないんですけど…。









「珍しいなぁ。伊緒からキスしてくれるなんて。」







「なっちが!!これは先生がっ」









「俺が?」









「……あ、や…もう…何でもないです。」









そんな顔で覗き込まないで。







少し潤んだ目とか片方だけ下がってる眉とか…可愛くて何にも言えなくなってしまうから。