今日から始まる夏休み。
長くて短い1ヶ月と少し。
いつも一緒には居られない俺達だけど、この期間だけは特別。
寝ても、起きても、隣には伊緒がいる。
人の温もりが近くにある。
「きっと、今までで一番幸せな夏休みになりますね。」
抱きつく俺の腕に伊緒の右手が触れる。
料理をしていたからか、その手は水に濡れていてヒンヤリとしている。
「ふふ、ずっとひっついてられますね。」
お、何だ?
今日はやけに素直に可愛いこと言うなぁ。
「じゃぁ、一緒に風呂入るか?」
笑いながら少し俺の方へと振り向いていた顔が、秒刻みに赤くなる。
あ、本気にして照れてる?
目も涙を帯びてうるうるしてるし。
「な、に…え、本気ですか?」
「ぶはっ、焦りすぎ!!!」
ほんの少しの仕草が本気で可愛い。
初々しいというか、純粋というか。
抱き枕みたいに抱き締めたくなってしまう。
「冗談だよ。今は我慢する。」
「い、今だけですか?!!」
そりゃ、そうだろ…?
伊緒が生徒じゃなくなったら我慢する気はないしなぁ。
「本当は今すぐがいいのを我慢してるんだぞ?解ってる?」
「う…で、でもお風呂なんて…そんな恥ずかしいの…」
夏だからかな、伊緒の体温が熱くなってきた。
あ、違うか。
照れてるから熱いんだよな。
「なぁ、伊緒…」
抱き締める手に少しだけ力を入れてから、伊緒の肩に顔をうずめる。
その行動に少しだけ伊緒の身体が動いた。
真っ赤になっている伊緒に追い討ちをかけるように、そっと囁いてみる。
「卒業したら、抱いていい?」
ストレートな言葉で伊緒に伝えた今の気持ち。
どうやって言おうか迷ったんだけど、やっぱりストレートにいくことを選んだ。
伊緒は変な所で鈍感だからな…こればかりは誤解されたら困る。
「っっせんせ…の…バカぁ…」
「えっ!?」
抱き締めてる腕に落ちてくる沢山の涙。
ずっと静かだとは思っていたけど、まさか泣いてるとは…。
やっぱりストレートに言い過ぎたか?
「ごめん伊緒。泣かせるつもりはなか…っ!!」
話している途中、無理矢理ほどかれた俺の腕。
背中を向けていた筈の伊緒が一瞬にして振り向き、そして…
「……仕返しです。」
噛むように唇にキスをした。
伊緒にしては珍しい力強いキス。
今まで感じれなかったものを知れて嬉しい反面、伊緒が言う仕返しってどういう意味だ?
「ふふ、なんの事だって顔してますね。」
頬には涙が流れているのに、満足げに笑ってる伊緒。
もしかして、それは嬉し涙なのか?
解かれた腕をゆっくりと動かし、流れる涙を拭いていく。
すると、伊緒はまた満足げに笑った。
「…今日は沢山私の為にしてくれて、私が嬉しい事ばっかり。そんなにかっこつけるなんてズルいです。」
「だから…仕返し?」
「そうです。」
うーん、仕返しと言われてもすごい嬉しかったんだけど。
伊緒からのキスは滅多にないし…逆にご褒美じゃないか?
「なぁ、俺そんなに色々したっけ?迎えに行ったくらいだろ?」
横井と進藤先生の事は伊緒が関係してるわけじゃない。
他になにか…
「守り抜いてくれるんですよね?」
「っっ!!!!!?」
驚く俺の顔を見てニヤッと笑う。
伊緒…あの話し聞いてたのか。
わざと早めに行ってバレないようにしたのに…。
「卒業したら、ちゃんと迎えに来てくださいね。ふふっ」
「っっおま…やめろ!!言うな!!」
「いやですーだ。」
「あっ、まて!!」
いつもより無邪気に笑っているように見える伊緒の顔。
捕まえようとする俺の手をスルリと抜けて部屋の隅へと逃げていく。
いつもと立場逆転。
今日は伊緒がSのようだ。
「……いい加減にしないと、襲うぞ?」
「ぎゃっ!!」
だがしかし、そんなのは許さない。
Sは俺の居場所だから。
「…先生、ご飯食べましょ?」
「……そうするか。」
仕方がない、その上目使いに免じて許してやるか。
机に向かう伊緒を見ながら、窓を開けてみる。
七月の蒸し暑い風が身体へと触れた。
二人の夏休みが、今日から始まる。
――――――――……
「伊緒ちゃんっ、コーヒーお願い。」
「はいっ」
「伊緒ちゃーん、これ奥のテーブルね。」
「はいっ」
始まった夏休みに、始まった喫茶店でのアルバイト。
そう思っていたのに、いつの間にかもう夏休みは半分を過ぎていた。
覚える事は沢山で、当たり前に忙しい。
モーニングの時は次から次にお客さんが来るし、昼から夕方にかけても暇な時間は全くない。
やっと出来た時間も、コーヒーの淹れ方やスイーツの作り方を教えてもらっていて無いに等しい状況。
充実した毎日だけど、余裕が無い毎日。
1日のアルバイトを終えて家に戻る時にはもうクタクタになっていて、
「つかれたぁー…」
と、言いながらソファーに飛び込むのが軽く日課になっているほど。
でも、
そんな状況になりながらも頑張れるのは、やっぱり…。
「お疲れ、今日は俺が晩飯作ってやる。」
大好きな先生のお陰なんだぁ。
ある週の土曜日。
いつもは営業の日だけど、今日だけは志帆さん達の用事で定休日に。
久しぶりの休みに早起きをしなくていいという気の緩みからか、いつになく深い眠りについていた。
目を覚ますキッカケになったのは、リズムのいい包丁の音。
耳に入ってくる音に重い瞼を開けて周りを見渡してみる。
「あれ……」
隣にいるはずの先生がいない。
そして、いつもより遅く八時にセットしたはずのアラームが鳴る前にとめられているではないか。
現在の時刻は、昼の十一時を差し掛かったところ。
「寝坊だぁぁ!!!」
勢いよくタオルケットから身体を出し、キッチンへと向かう。
先生に朝ご飯を作ってあげてないし、洗濯も掃除も何もしていない。
休みだからって気を抜き過ぎてしまった。
先生に呆れられてたらどうしよう。
「せんせっ!!!」
音がするキッチンに走りこんでいくと、目を丸くして驚いている先生が目に入る。
焦る私に驚く先生。
包丁を持つ手も動きが止まっている。
「あ、その…ごめんなさい。私寝坊しちゃって…」
「……ふはっ、焦りすぎ。」
「でもっ…」
下を向く私に、先生がゆっくりと近づく。
そして、ゆっくりと私の頭に手を置き優しく撫でた。
「いつも頑張ってるんだから、今日ぐらいゆっくりしていいんだよ。」
「…せんせ。」
優しく笑う先生に胸がキュンとする。
その笑った顔を見てると、身体がポカポカして抱き締めたくなるんだよね。
「明日からまたバイトなんだろ?」
「はい。」
「じゃぁ、今日は二人でゴロゴロしような。」
「はいっ!!」
さっきまでのモヤモヤが消えて、嬉しい気持ちが溢れてくる。
毎日のバイトは自分の為にやってる事なんだけど、ご褒美が貰えるのはやっぱり嬉しい。
まして、最近は先生不足で寂しかったから一緒に過ごせるなんて幸せすぎる。
「とりあえず着替えてこい。昼飯作っとくから。」
「はーい。」
私の返事を聞いてから包丁を持ち直した先生。
その姿を横目で見ながら、寝室へと戻った。
「…………。」
なんだろ、何か引っかかる。
さっきまであんなに笑っていたはずの先生が、私から目を離した瞬間とても寂しい目をしていた。
それに、家で過ごすだけなのにジャージじゃなかったし…。
黒のポロシャツにジーンズの長ズボンなんて滅多にしない格好を、何故しているのだろうか。
何か、私に隠してる…?
寝室に戻り、服へと手をのばす。
さっきまでは楽なジャージにしようと思っていたけど、先生の姿が気になって別のものにした。
黒がベースの水玉柄シャツに、薄ピンクのショートパンツ。
今日の先生に合うような落ち着いたコーディネート。
服を着替え、洗面所で顔を洗ってからキッチンへと向かう。
すると、一歩近づくごとにいい匂いが鼻をかすめた。
「お、着替えたな。」
「…はい。」
話し方も接し方も何もかもいつもと変わらない。
なのに、何でこんなにも不安な気持ちがするんだろう。
「じゃあ食べるか。おいで、伊緒。」
扉の近くに立ち尽くしている私に先生が手招きをする。
それに吸い込まれていくように近づくと、テーブルの上の料理が目に入った。
「…これ、先生が?」
向かい合うように置かれているのは、色鮮やかな黄色と赤のオムライス。
前に私が先生に作ってあげた事のある思い出の料理なんだ。
「何か、急に食べたくなってさ。伊緒のには負けるけど一応食えるぞ。」
「ふふっ、本当ですか?」
「本当だよっ!!」
食べ物の事になると少し子供っぽくなる先生。
私の言葉にムキになりながらオムライスを頬張る姿がまた子供っぽくて可愛い。
用意されているスプーンでオムライスを口に入れる。
少し大きめに切られた具材が男の人の料理って感じがする。
「何ニヤツいてんだ?」
「いや、美味しいなぁーって。」
人に作って貰った料理って特別美味しく感じるんだよね。
自分で作ったものでは感じられない幸せな気持ちが溢れてくるようで…。
それに、同じ料理なのに作る人によって味が変わるのが面白い。
朝ご飯を食べていないからか、私も先生もお皿一杯のオムライスをあっという間に食べ終えてしまった。
「美味しかったぁ…先生、ありがとうございました!!」
「いえいえ、いつも旨い飯作ってもらってるんで。」
「っっ!!!」
い、今の不意打ちはズルイ。
いつも食べている時に美味しいって言ってくれるのに、改めてそんな風に言われると何だか照れてしまう。
手で火照る顔を抑えるように覆うと、その姿に先生が少し微笑んだ。
「…………。」
あ、まただ。
ふとした拍子に見せる先生の目、凄く寂しそう。
何か言いたげな感じで、助けてって言ってるみたい。
「コーヒー持ってくるな。」
食べ終えた食器を持って歩いていく先生の背中を、ジッと見つめる。
いつもと違う雰囲気で魅力的にも感じるけど…やっぱり、いつもの先生がいい。
何でもいいから話して欲しい。
先生、きっと今辛い思いを抱えてるから。
内容までは解らないけど、それだけは解る。
「はい、どーぞ。」
「…ありがとうございます。」
私の前にココアが入ったマグカップを置き、先生はもう一度向かい合うように座った。
…聞いてもいいかな。
それとも、ほっといた方がいい?
うーん…人の気持ちって難しすぎる。
「…ぶはっ、いーお!!」
「ぅえっ!!え、ぇえっ?!!」