何の…話し?
「伊緒…これってさ…」
私と同じように先生達の会話を聞いていた恵那が、目を丸くしながら私を見た。
「この夏休み、伊緒さんを責任もってお預かりします。ですので…」
「解りました、先生の言葉を信じますよ。夫には私からうまく言っておきます。」
「ありがとうございますっ」
先生が静かに頭を下げ、それに続くようにお母さんも頭を下げた。
その姿に、私の目から涙がこぼれていく。
沢山じゃなくたった一つの涙が…。
「伊緒、よかったね…。」
「うん……」
私の為にここまでしてくれるなんて、嬉しすぎるよ。
「あと、もう一つ…」
流れる涙を恵那に拭ってもらっていると、先生が再び話し始めた。
「卒業を迎えたら伊緒さんを迎えに来ます。覚えておいて下さいね。」
「「!!!!!」」
開いた口が塞がらない。
恵那も私も一瞬時が止まったかのように固まっていた。
今、先生なんて…。
「ふふふっ、それは大変ね。夫と準備しておくわ。」
「はいっ、宜しくお願いします。」
笑いあう二人とは真逆に涙でいっぱいの私。
目は勿論、頬も手も何もかもが濡れている。
「伊緒、行こっか。」
「恵那……」
私に寄り添うように座っている恵那が、頭を撫でる。
目を合わせると、恵那の頬にも涙が流れていた。
本当に優しいね、恵那。
自分の事じゃないのに一緒のように喜んでくれるなんて。
「いおーっ、先生いらっしゃったわよー!!」
会話が終わったのか、下からお母さんの大きな声が響いてきた。
「ほら、呼んでる。」
「うんっ」
溢れる涙をしっかり服で拭い、立ち上がる。
その姿を見てから、恵那も立ち上がる。
顔を見合わせ少し笑いあってから二人でゆっくりと階段を降りた。
「恵那、大好き。」
「えー?先生より?」
「え、うーん…」
「あははっ、何それ!!」
だって、比べられないよ。
恵那も先生も、二人とも私にはかけがえのない存在で大好きなんだもん。
ずっとずっと一緒にいたい人達なんだよ…。
「よし、着いたぞー。」
あれから無事先生と合流し、お母さんにも笑顔で行ってきますと言えた。
少し重い荷物も先生が軽々とトランクへと運んでくれて、何も苦労することはなかった。
ただ、一つ予想外だった事といえば…。
「まぁ、これも運命だな。」
駐車場から部屋へと向かう途中、エレベーターの中で先生が小さく呟いた。
「恵那…」
今、車の中には恵那ともう一人。
私達には予想外だった進藤先生が乗っている。
先生に事情を聞いて納得はしたけど、恵那の焦りようは半端じゃなかった。
進藤先生を見つけた瞬間はあまりに焦りすぎて帰ると走り出したんだけど…。
それを進藤先生が追いかけて阻止してくれた。
そこからは、全員で「こんな暗い中一人は危ない」と説得し、半ば強制的に車に乗せた。
そして、ついでに喫茶店を見に行こうって事になって…。
「今ごろ何話してるんですかね。」
「さぁなー、キスでもしてたりしてな。」
「なっ…!!」
「ははっ、嘘だよ。」
先生の冗談に本気で顔を赤くしていると、エレベーターが部屋の階へと止まった。
先生が先に出て、私はその後についていく。
うーん、恵那に悪いことしちゃったかなぁ。
先生が私を部屋へと案内してくれてから三人で喫茶店へと向かうみたいなんだけど、先生は駅まで二人を送って部屋へと帰ってくる。
とゆうことは、必然的に駅からは恵那と進藤先生の二人きりなんだよね。
「じゃあ俺は二人送ってくるから。荷物整理しとけよ?」
「はい、解ってます。」
前に来た時と変わらない先生の部屋。
今日から少しの間、ここが私の帰るところなんだぁ。
「あ、伊緒。」
「はい?」
「風呂入れといてくれる?栓しめてボタン押すだけだから。」
「っはい!!」
バタンと閉められたドア。
そこに居た先生に、まだ私の胸が高鳴っている。
今の会話、なんかすごくドキドキした…。
これから一緒に暮らす実感みたいな。
「あーっっ、やばいっ!!!」
初めからこんなんじゃ、先が思い知らされる。
よし、とりあえず落ちつこう。
まずはお風呂。
それから荷物の整理をして、あとは…。
あ、恵那にメールしとかなきゃ。
「これでよしっ!!」
お風呂の準備を済ませ、自分の荷物の整理も何となくできた。
あとは先生の帰りを待つだけ。
先生帰って来たら、どんな反応をしたらいいんだろう。
部屋の隅で隠れてようか…いや、それとも堂々とソファーに?
「うーん…。」
自分が疲れて帰ってきた時に、してもらって嬉しいことって何だろ。
まして、今まで一人で生活してた人の場合…。
昔は違ったけど、今の私の場合は家に明かりがついてる事が当たり前で、お母さんが笑って出迎えてくれる。
それで、どんな時間でもお腹をすかせているだろうと温かい晩御飯を準備してくれてて……。
「あ、そうか。これだ…」
私が先生に唯一してあげれること。
何の力にもならないかもしれないけど、精一杯やろう。
さっそく行動を起こそうと立ち上がった瞬間、ズボンのポケットの中にある携帯が激しく振動した。
メールの送信者は、さっき私が送った相手の恵那だった。
ディスプレイを見て、慌ててメール画面を開く。
返信されてきた恵那のメールは、文章からも伝わってくるぐらい緊張している。
今から電車に乗るという報告と、何を話したらいいか解らないという戸惑い。
きっと、今の恵那の顔は真っ赤だろうな。
「ふふ、恵那ファイト!!」
頑張って!!という素っ気ない文章だけを返信した。
なんか、今日の出来事で二人の何かが変わる気がする。
もちろん、言い方向で。
ダブルデートが出来る日も遠くはないかもしれないなぁ。
嬉しい気持ちを胸にしまい、携帯をゆっくりと机の上へ手離す。
恵那達が駅に着いたって事は、先生が帰ってくるって事だよね。
急がねば!!
どうしても先生が家につく前に完成してしまいたいんだ。
――――――――………
「ふー…」
進藤先生と横井を駅へと送ってからやっと家に着いた。
今日は色々頑張り過ぎたかな。
それとも、終業式で気がゆるんだのか。
なんかめちゃくちゃ疲れたな。
車の鍵を閉めエレベーターへと向かう、いつもの行きなれたルート。
歩く度に近づく俺の部屋。
昨日までと違う状況になったからか、やけに緊張する。
意味なく心臓が動いてる気がするな。
「ふぅ……」
伊緒、何やってるかな。
あいつの事だから荷物の整理はとっくに終わっているだろうし。
俺が帰ってきたらどんな反応するんだろう。
やべ、なんか考えるだけでニヤニヤしてきた。
どこの変態だよ俺は…。
部屋の階に着いたエレベーターから降り、少しゆっくりと歩く。
鍵穴に鍵を通し、ドアノブへと手をかける。
あ、なんて言おうか。
やっぱり…これだよな。
「…ただいまぁ。」
ドアを開けた瞬間、明るい光と何かいい匂いが俺を迎える。
ん?なんか…懐かしい匂い。
「あっ先生!!」
「お、おぅ。」
「おかえりなさいっ」
「っった、ただいま。」
うっわぁぁぁ!!!
なんだ今の可愛いおかえりは!!
伊緒の方が全然大人じゃねぇか!!
俺だけバカみたいに緊張してるみたいだな。
部屋へと入っていく伊緒の後を着いていくように俺も歩いていく。
すると、いい匂いがどんどん近づいてきた。
「えっお前これ…」
「えへへ、冷蔵庫にあったやつ勝手に使っちゃいました。」
「すっげー…」
久々の心からの感激。
俺の目に入ってきたのは鮮やかな晩御飯達。
しかも、丁度食べたいと思っていたエビフライまであるじゃないか!!
「今日からお世話になるんで…お礼です。」
お前、最高すぎるだろ。
あんな短時間でここまでしてくれたのか?
「あと少しでご飯炊けますから、そしたらご飯食べま…キャッ!!」
伊緒が炊飯器を見に背を向けた瞬間、後ろから抱きついてやった。
小さな背中に覆い被さるように思いっきり。
「いいな、こうゆうの。すげー癒される。」
身体の内側から暖められているようにポカポカする。
一人暮らしでは感じられない、なんとも言えない気持ちだ。
こんなにも小さい身体なのに。
まるで俺の何倍も大きいかのように、温もりで包んでくれるんだ。
「伊緒、これからよろしくな。」
今日から始まる夏休み。
長くて短い1ヶ月と少し。
いつも一緒には居られない俺達だけど、この期間だけは特別。
寝ても、起きても、隣には伊緒がいる。
人の温もりが近くにある。
「きっと、今までで一番幸せな夏休みになりますね。」
抱きつく俺の腕に伊緒の右手が触れる。
料理をしていたからか、その手は水に濡れていてヒンヤリとしている。
「ふふ、ずっとひっついてられますね。」
お、何だ?
今日はやけに素直に可愛いこと言うなぁ。
「じゃぁ、一緒に風呂入るか?」
笑いながら少し俺の方へと振り向いていた顔が、秒刻みに赤くなる。
あ、本気にして照れてる?
目も涙を帯びてうるうるしてるし。
「な、に…え、本気ですか?」
「ぶはっ、焦りすぎ!!!」