先生と教官室2〜新しい道〜






「こちらの商品で宜しいですか?」






「はいっ!ありがとうございました!!」







店員さんから渡されたマグカップは、近くから見ても素敵で嬉しい気持ちが込み上げてくる。







これから先生はこのマグカップ使うんだよね。






教官室で毎日コーヒーを飲む先生の手には、私が選んだマグカップ。







私と先生しか知らないその真実は、私を安心させてくれるものでもあるんだ。







「そのマグカップ、お気に召しましたか?」







「え…あ、あぁ!!はいっ、とっても!!」







目の前のマグカップに夢中で店員さんのこと忘れてた…。






ニヤケてたのもこれじゃバレバレですよね…。









「……良かったです。」














「はい?」





あまりに唐突な店員さんの言葉に驚いた顔をすると、向こうは優しく微笑んできた。






人なつっこいとも言えるその笑顔は、どことなく猫のようにも見える。






「そのマグカップ、僕も気に入ってたんです。だからお客様のような人に買って頂けて…ほんと、よかったです。」






「そ、そうなんですか…」





別にお礼を言われるほどの事をしたわけじゃない。






ただ、気に入ったマグカップを買おうとしてるだけ。








でも、それだけの事でもお礼を言われると嬉しい気持ちはある。







「大切にしますね、このマグカップ。」







「はいっ、宜しくお願いします。」














「じゃあ、私行きますね。」






そう言ってから店員さんにもう一度お礼をし、レジへと身体の向きを変える。






そういえば先生どこにいるんだろ。






かれこれ20分は戻ってきてない。






どこか別の所で買い物でもしているのかな?






「…………。」






よし、先生が戻ってくる前に会計を済ませてしまおう。






マグカップ代は先生が払うって言ってたけど、私が割ったんだし責任持って弁償するのが筋だよね。







えっと、レジは…







「あのっっ!!」














レジに向かおうとしていた私の腕を誰かが引っ張った。






そして、そのいきなりの衝撃で私は見事にバランスを崩し後ろへと倒れていく。






「うわわっ………っあれ?」







確かに身体は倒れていったはずなのに、何故かどこも痛くない。






むしろ見事に立っている。






「すいません、いきなり引っ張ったりして。大丈夫ですか?」







…やばい気がする、この状況。






私の倒れかけた身体は、さっきの店員さんによって支えられているんだ。





しかも支えられているだけじゃなく、後ろから抱きしめられているような…。







「あ、の…」






とりあえず早く離して欲しい。






いくら人気がない場所でも、ましてや見ず知らずの人にこんな事されたくない。







「や、離して…」







「俺、ここのバイトもう直ぐ終わるんですけど、良かったらご飯行きません?」







なんだこの人は…。





人の話しを全くといっていいほど聞いていない。





良い人だと思ったのに。





これじゃそこらへんに居るナンパ野郎と一緒だよっ!!







「ちょ、だから離し…」






無理矢理腕をどかそうとするけど、びくともしない。






まして、力は強くなるばかり。







「いっ、痛…」






「俺、大学三年の…」







「…伊緒?」














下に向けていた顔をあげると、そこには先生がたっていた。







「っっ……か、けやさ…」






強く握られている腕の痛みか。






それともこんな姿を見られた罪悪感か。






先生に合わせる顔がなくて、ただ下に視線を戻しながら先生を呼んだ。







早く、一秒でも早く助けて欲しい。







私は先生以外の温もりなんて欲しくない。






少し遠くにいた先生は、どんどんと私達のもとへ近づいてくる。






そして私の手を掴んでから、ゆっくり店員さんへと顔を向けた。







「悪いけど、離してもらえる?」







「は?いきなりなんすか?」







「いいから、さっさと離せ。」









「―――っっ!!」







私の位置からじゃ、先生の顔はよく見えない。






でも声を聞いただけで解る先生の不機嫌さ。






今まで聞いた事がないくらい低い声だ。







「君ここのバイトだろ?あんまり図々しいことしてるとクビにしてもらうけど?」







「…………。」







先生の脅しでやっと解放された私は、そのまま先生に引っ張られ背後に隠された。








さっきとは全く違う、安心する温もり。







やっぱり先生の温もりじゃないと駄目なんだ。














「あ………」





安心した瞬間、一粒だけ涙が頬を伝った。




背後にいるから先生にはバレていないだろうと、急いでそれを拭った。






「行くぞ、伊緒。」






「え…あ…」







先生が握っている手とは逆の手にある、マグカップ。





どんなことが起きても離さなかったけど、置いていかないと駄目だよね。






先生怒ってるし、もうマグカップどころじゃないだろうし。








「…待ってください、マグカップ…返してきますから。」







握られている手を離そうと力をいれる。






すると、それを拒むように先生は私より力をいれた。







「別に返さなくていい。お前が俺の為に選んでくれたものだろ。」







「でも…」







「話しは後だ。とりあえず会計済ませるぞ。」








「…はい。」









私の手から離れたマグカップは、先生の右手へとおさまっていく。








あのマグカップを見つけた時から、この姿を見たかったはずなのに。






なのに、今は申し訳無い気持ちが大きくて先生がみれないよ…。















「ありがとうございました。」





会計を終えたマグカップは、白い小さな箱にいれられていた。





紺色のマグカップとは正反対のその色が、やけに寂しく思える。





まるで、色あせてしまったように。






結局、お金も先生が払ってくれた。






自分で使うものだから、と言って私の手を遮った先生。






その時の目は、とても冷たかった。







「…………っっ」







どうしたらいいんだろう。






何て言っていいのか解らないよ。







先生は、会計をしてから一言も話してくれないまま。







ただひたすら私の手を引っ張って何処かに向かって歩いている。







バレないように流している涙だって、いつもならエスパーのように気づいてくれる。







笑って、大丈夫だって抱きしめてくれるの。







全身で温もりをくれるんだ。








でも今は、握られている手からも先生の温もりが伝わってこないよ…。
















「なぁ伊緒、何があった?」






あれから地下の駐車場へ着いた私達は、人気のないベンチに座っている。






先生は手を繋いだまま、私が居る方とは逆を見ている。







「…そのマグカップ、棚の一番上にあったんです。最初は自分で取ろうとしてたんですけど全然取れなくて。そしたら、さっきの人が取ってくれたんです。」









「うん。で、なんでああなるわけ?」








「それは…急に引っ張られてバランスが崩れて…」







「んで抱きしめられたのか?見ず知らずの奴に。」








「―――――っっ!!!」







なんで…なんで私がこんなに攻められなきゃいけないの?






嫌だったのに、辛かったのに。






先生に早く助けて欲しかったのに。







どうしてそんなに冷たい目や態度をするの?







「…私が、全部…悪いんです、か?」








「え?」








「元はといえば、先生が私を一人にしたからこうなったんじゃないですかっ!!


…ずっと、ずっと待ってたのに戻ってこなくて、寂しくて…なのに…っく…」








「伊緒…あのな…」








「もう先生なんか知りませんっ!!」










「おいっ?!!伊緒っっ!!」








繋がれていた手を思い切り振り払い、先生の前から走って逃げ出した。







流れる涙は汗とまじり、私の上がっている体温を冷まそうとする。







不意に逃げ出した私に驚いた先生は、後ろからずっと私の名前を呼んでいた。
















地下を出て、更にスーパーを出ると、目の前には大きな公園があった。






電灯がポツポツとついているけど、明るすぎない公園。






そこは今の私には最適な所だった。







「っく、ひっ……ぐす」






さっきと同じようにベンチに座り、足を抱えた。





流れる涙と漏れる声は、私と木々しか知らない。






きっと、先生心配してる。





前みたいに走って探してくれてるんだ。







電源を切った携帯には、何通のメールと不在着信が記録されているのだろうか。








「っっうわ…ぁん…」







一人で考えている今、先生が言いたかった事が少し解る気がする。






私も悪かったんだ。






先生が居ないときにあの人に優しくされて、安心しちゃって、きっと隙だらけだった。







誤解されてもおかしくないよね。








「せ…んせ…」







いつもみたいに笑ってくれなかった先生。






大丈夫か?とも聞いてくれなかった。






もう呆れられちゃったのかな。








「あら、あなた大丈夫?」







「え…?」








俯いてばかりだった顔を上げると、私の前には老夫婦が立っていた。








「どうしたんだい?こんな暗いところで。」








「あなた、歩ける?私達このすぐ近くで喫茶店をやっているんだけどね。良かったら温かい飲み物でもどうかしら?」








「……い、いんですか?」






「あぁ、もちろん。もう閉店の時間だから客も居ないしね。ゆっくりしていきなさい。」







「っっはい…。」







それから、老夫婦は私の背中に手をあてながら一緒に歩いてくれた。







公園からも見えているその喫茶店は、二人と同じように優しさが滲み出ている。








見ず知らずの人に隙を見せてはいけないと解っていたのに、今の私には二人の優しさが唯一の救いに感じた。