上体を起こした彼女。

まっすぐのびた長い髪が、ベンチ板から軽く浮く。


初めてちゃんと、目があった。



「…いくら、いるの」


半ば呆れた調子の俺に全く気づかないかのように、彼女は澄んだ声で問い返す。


「あなたは、いくらで乗るの?」

「…220円」

「じゃあ、220円。」


そう言うと、ベンチから立ち上がって少しだけ微笑む彼女。

俺は少々理不尽な思いを抱えながら、440円を用意しつつこちらへ向かってくるバスを迎えた。




バスはガランと空いていた。俺たち二人以外に、老人夫婦が二人だけしか見当たらない。

ゆったりしている席が好みな俺は、一番後ろの長椅子に向かう。その後ろを彼女はパタパタとついてきて、同じく長椅子へと腰を落ち着けた。

ああ、そうかと220円を渡してはみたものの、彼女は俺の隣を動こうとはしない。

変な女に関わってしまったもんだ。はぁ、と小さくため息をつく。

チカチカと光るテールランプが窓に写って、彼女の顔を消したり表したりしていた。





「青海台〜青海台〜」


運転手のしゃがれた声に、ふと我にかえる。…危ない、眠るところだった。

急いでポケットから用意していた小銭を取り出し、バスの出口へと向かおうとした。



その時。



「──?」


クン、と袖に引っかかる何か。

彼女の白い腕が、俺のTシャツの袖を掴んでいた。


「な、に───」
「無いの。」


全く同じ抑揚で発された、先程と同じ台詞。

俯き加減だった目線を、ゆっくり上げて俺を見つめる。





「…家も、無いの。」





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