ぱん、と張る音がシンと冷え切った夜に響く。
アイリスの手が多季の手ではなく、頬をとらえた音だ。全く気をぬいていていたため多季の顔がぶんと横に揺れる。赤くなった肌に手を当てながら多季はこちらを見た。


「最初からこうすれば良かったんですの。…目をさますには充分でしょう?」
「アイリス」

「…馬鹿ばっかり言わないでくださいませ!!…あなたが死ぬ事を、私、が選ぶと思うんですの?…み、見くびるのもいい加減にしてください。」


そんな風にさせたのだという事が悔しくて、涙が出た。

優しい大好きな手がアイリスの涙を拭う。

「ごめん、でも、それしか手が残ってないんだ」


アイリスは目を見開いたあと、微笑んだ。

「ごめんって、何がです?」
「君を犠牲にするしか手がなくて、サリサに手を貸したのだって、この賭けをするためでもあって、」


もちろん、やり直すためでもあったのだろうけど。
アイリスは人差し指で多季の唇に触れる。

「馬鹿ですのねぇ、…私はちゃんとあなたを選んでますのよ?」


この何を考えているかわからない灰色の目をしっかりと見るのはいつぶりだろう。
ああ、私、この人が。