地下室の腐臭に耐えきれず、足を踏み入れた瞬間に私は鼻を塞いだ。



血の鉄くさい臭いも交り、服装に気を使う身としては、あまり近寄りたくない類の部屋ではあったが、仕事だから致し方ない。


それも半分は済んでしまったようなものだが。




「………」



嗚呼やはり。


予想した通り、仕事は半分、先を越されていた。


問題は、積み重なった死骸の山の中に、私の標的がきちんと交っているかを確認できるか否か。



天井のカンテラには無数の羽虫が群がり、やがてこの死骸に卵をうみつけ蛆をわかせることだろう。




「……誰」



「おや」




かつん、かつんと靴音がした。



小さい割に妙に耳の奥に響く、その固い音は、おそらくなかなかの上物であろうと推測する。


こんな汚い場所に近寄るなんて、相当の物好きか。



部屋の奥の暗闇によく目を凝らして見れば、私は驚いて目を見張る。



男の子じゃないか。







天井は低く、背の高い私が手を伸ばせば簡単にカンテラに手が届いた。



フックからそれを外し、わたしは群がる虫を手で払うと部屋の奥にいる少年に光を当てて、人間であるかを確かめた。



そしてさらに驚いたことに、少年は血で汚れていた。



指、顔、頸筋と、服から伸びる素肌には生々しく血痕が付着しており、この状況を作り上げた張本人が彼であることを示している。



こんな子供が、十数人に渡る大人を殺害したというのか。




「君、名前は」



「…………」



少年は片方の瞳だけで私を見据えた。



綺麗な翠眼をしている。



ただ目になにか入ったのか、左の瞳は黒髪と手で抑えていた。




「君がやったのかい」



「お兄さん、警察の人?」



「違うよ」



「そう」




少年は存外落ち着いていた。


余計に私は不安になる。



突発的にこの少年が彼らを殺害し、混乱に陥っているのならまだわからなくもないが、彼の安定した瞳の揺らぎは、明らかに理性が宿っていた。








「彼らになにか酷いことをされたのかい」



「別に、何も」



「でも君が殺したのかい」



「そう」



少年の声色は無機質で、なにか文句でもあるかと言い返されそうな予感さえした。



少年は立ち上がって膝の埃を払うが、手についた血痕がまだ乾いていないらしく、ベージュのズボンに紅い跡が増えた。



やはり身なりはいい。



顔を上げた少年の左の瞳は、鮮血のように紅かった。




「前に会ったことありますか」



少年は私に問うた。


思わず私は唇を緩め、嬉しさのあまり乾いた唇を舐めた。



君だったか。





「嗚呼、あるよ、数百年も前の話だけれど」



「そう」




少年は冗談だなんて思っていないらしい。



笑わず受け止めているのがその証拠で、もう四分の一ほどは思い出しかけているらしい。



この世に生を受けてまだ10年と少しというところではあったが、彼にしてはかなり遅めの復活じゃあないか。







「会ったことがあるなら、俺のことを知っていますか」



「知っているよ。
ただ、あまり君は私のことを好きではないようだから、ほんの一部だけだけれど」



「それなら」



少年は私の背後に積んだ死体の山に視線を投げ、少しだけ虚ろな目をして口を開いた。



「一年前くらいからなんだ。
人の塊を見ると無償に壊したくなって、気が付いたらついこうなってしまうんだ」



何故だかわかりますか。



少年はそう訊ねた。



「右目が痛くないかい」



「少し」



「その眼ももうすぐ紅くなる、そうなったらきっと、全て思い出すよ」



「そんなの待ってられない、なんとかしないと、俺はまた人を殺します」



私は、彼の口から予想外の言葉が出てきたのでまたしても両目を見開くことになった。



彼は人殺しを背徳だと解っている。



どうしようもない衝動に駆られるわけを私に尋ね、それをどうにかしようと試みているだなんて、彼らしくもない。







「人を殺すのは罪だと思うかい」


「思います」


「なら尚更、君のそれは直らない」



なにせ彼の生に刻まれた一章の烙印だからだ。


その理由を知れば、思い出しきれない自分の性におそらく彼は絶望することだろう。



彼の左胸に、紅い花と狼がデザインされたエンブレムを見つけた。


どうやら彼は、例によって例のごとく、人に刃を向けるべき家柄に生まれてきたらしいのだ。



また彼は逃れられない。





「直る筈がないんだ、だって、ずっとずっと前に君自身が『そうなるように』刻んだ、君のための枷なんだから」



「…どういうこと」



「子供にはまだ、理解は難しいね」



私は微笑みながら手を差し伸べた。


瞬間に、少年の背後の壁に亀裂が走り、がらがらと破片が落ちる音がする。



少年は驚いても、そこを避けようとはしなかった。




ほらね。








私の右手には、銀色に光るナイフの柄がある。



壁を砕くほどの強度を以て、しかしそれを見せつけられても彼は逃げようとはしなかった。



危機管理能力が人の、いや生物の本能に刷り込まれたものであるならば、彼の鈍い反射はそれを避けるなと『刷り込まれた』ものなのだ。



必ず自分が『傷つくように』。



彼の潜在意識は、彼自身によってそうなるように設定されている。



彼が何故、罪をわかりながら人を殺さずにはいられなくなったか。



それは自分が傷つくためには、自身の傷より他人の痛みの方がよっぽど辛く苦しいからだ。



罪を犯すように。



美徳に拝する様に。



彼の精神はそうなっている。