秘書室の言えなかった言葉

「もう、あんな事しないから。知里だけだから」


そう言いながら、誠司は私に近付いてくる。

私は後退りしながら


「そんな言葉、信じられるわけないでしょ!っていうか、やり直すなんて絶対にない!」


そう言い切った私は、気付いたら壁際まで来ていた。


「何で“絶対”って、言い切れんだよ」


そう言いながら、私を追い詰め、ニヤッと笑う誠司。

何か企んでいそうで、怖くなる。


「私、付き合っている人いるから」


誠司から目を逸らさず言う。


「あぁ、聞いた。倉木だろ?ってか、倉木も遊んでいるんじゃねぇ?だって、アイツ、モテるから選びたい放題じゃん」


左手で私の肩を掴み、右手は私の髪に絡める。


「倉木はそんな事しない!!」


私は誠司をきつく睨む。


「何で言い切れんだよ。わかんねぇじゃん」


ムッとした誠司は私の肩を掴む手の力を強める。


「痛いよ、離して!」

「嫌だ。知里が俺の所に戻ってくるって言うまで離さねぇ」


誠司は私の肩を掴んだまま、壁に押し付ける。


「どうせ、本気じゃないんでしょ!もう私にかまうのはやめてよ!」


誠司は、必死に抵抗する私の腕を押さえ付ける。


「本気だ、って言ったら、戻ってくるのか?」


誠司は真剣な目をして私を見つめる。

付き合っていた頃は、ドキドキしていたけど……


「本気だって言っても、やり直さない。誠司とは付き合わない。私が好きなのは倉木だから」


はっきりとそう言った。

その瞬間、誠司の目つきが変わる。


「じゃぁ、力ずくで奪ってやるよ」


そう言って、私の首元に顔を埋め、キスをした。


「イヤッ!!」

「何やってんの?」


その時、いつもと違う低い声が聞こえてきた。

その声の主は……


「……社長」


誠司は気まずそうな声を出す。

そして、社長の後ろには英治も居た。

英治を見付けた瞬間、私はパッと目を逸らす。

ただでさえ、この1週間、気まずかったのに。

こんな現場を見られるなんて……


「佐伯専務、何をやっているんですか?」


私達の方に近付いてくる足音と、社長の少し機嫌の悪そうな声が、静まり返った秘書室に響く。


「いや……、あの、これは……」


いつも堂々としている誠司だけど、さすがに社長に見られ、あたふたしている。


「とりあえず、園田さんを離してもらえませんか?」


そして、私は誠司から解放される。


「園田さん、大丈夫?」


いつもの優しい口調で、声を掛けてくれる社長。


「は、はい……」


だけど、社長の方を向くと、近くに居るであろう英治も自然と視界に入る。

どんな顔をして私を見ているのか、知るのが怖くて、顔を背けたまま返事をする。


「あっ、そうだ。会社の前で、“佐伯専務の彼女が待っている”って連絡がありましたよ」

「えっ!?何で?あっ、すみません。お疲れ様です」


気まずそうな誠司は慌ててこの場から去ろうとする。


「あっ、そうだ」


だけど、何かを思い出したかのように、社長は誠司を引き止め、小声で何かを言っていた――…





なぁ、知里。


もしかして、


お前、今でも――…


歓送迎会が行われている店を出て、俺はタクシーを捕まえる。

タクシーの中でも、俺は知里の手を握ったまま。

知里はわけがわからず、俺をチラチラ見ている。

だけど、そんな事は気にせず、俺はまっすぐ前を見たまま

“絶対に知里を手放さない”

知里の華奢な手をぎゅっと握りしめ、そう思っていた。


マンションに着き、酔って足元がフラフラの知里を支えながら、部屋に入る。

その瞬間、知里は俺に抱き着いてきた。


「知里?どうした?」


いつも甘えてこない、そして、自分からこんな風に抱き着いてくる事なんてしない知里の行動に俺は驚く。

知里は俺に抱き着いたまま顔を上げる。

そして、お酒を飲んでいる知里は、頬を赤くし、とろんとした目で俺を見つめ


「英治……、好き」


そう言って、ますます俺にぎゅっと抱き着いてくる。

さっきまで余裕を無くし、イライラしていた俺は、知里のこの一言で落ち着きを取り戻す。


俺って単純だな……


そう思いながら、知里の髪を撫で


「俺も好きだよ」


そして、撫でていた手を知里の顎に移し、クイッと顔を持ち上げ、そっとキスをする。


「……んっ……」


知里から漏れる声に、俺の理性は崩れ落ちそうになる。

だけど、ここは玄関。


さすがにここでがっつくのは……


崩れ落ちそうな理性を必死に保つ。

とりあえず、知里をリビングへ連れて行き、ソファーに座らせる。

“気持ち悪い”とは言っていないが、今日、知里はかなり飲んでいる。

知里に水を飲まそうと、キッチンへミネラルウォーターを取りに行き、リビングへ戻る。

すると知里は、ソファーの上で横たわり眠っていた。


「知里?」


身体を揺すり、声を掛けるが全く起きない。

俺は知里をお姫様抱っこし、寝室へ連れて行き、そっとベッドの上に降ろす。

そのまま寝かせると、知里が着ているスーツにシワが寄る。

俺は自分のTシャツとズボンに着替えさす事に。

シャツのボタンを外していくと、知里の白く綺麗な肌が見えてくる。


これくらいは、いいよな


俺は知里の胸元に顔を近付け、“俺のもの”という印を付ける。

佐伯さんの言葉を聞いた俺は、手放す気はないが、やっぱり少し不安だ。

だから、“俺のもの”ってわかるようにしておきたかった。

俺が印を付けた事に気付く事なくスヤスヤと眠る知里。

俺はベッドの端に座り、知里の髪を撫でながら、寝顔を見ていた。


「……じ」


今、何か言ったか?


すると、知里は俺のシャツをきゅっと掴み、


「……いじ」


そう言って、悲しそうな顔をした。


はっきりと聞き取れたわけじゃないが

“俺の夢を見て、俺の名前を呼んだ”

そう思った俺は


「俺はここに居るよ」


そう言って、知里のおでこにそっとキスをする。


だけど、次の瞬間……


「……せいじ」


はっきりと違う男の名前を言った。


はぁ!?

誰だよ、“せいじ”って!!


ムカついた俺は、寝ている知里を起こしてでも問いただしたい衝動にかられる。

が、その時、知里の目元で光る涙の存在に気付く。

そして、もう一度


「せいじのバカ……」


他の男の名前を呼んだ。

俺は、ムカつきを通り越し、ショックの方が大きくなる。


「なぁ、誰だよ“せいじ”って……」


寝ている知里に問い掛ける。

答えなんて返ってくるはずないのに……


その時、ふと思い出す。


『俺達、嫌いで別れたわけじゃないし――…』


そう言った、佐伯さんの言葉を。


そう言えば、佐伯さんの名前も“せいじ”だよな……

もしかして、佐伯さんの事か!?


“せいじ”と呼びながら、悲しそうな表情で眠る知里。


なぁ、知里。

もしかして、お前、今でも佐伯さんの事が好きなのか?

じゃぁ、さっき「英治……、好き」って言ってくれたのは、なんだったんだよ……


結局、その夜、俺は眠る事が出来なかった――…


次の日の朝――…


昨日の佐伯さんの言葉、知里の寝言が気になって仕方がない俺は、その事を考えないように、リビングで仕事をしていた。


ガチャ――


寝室のドアが開いた音がした後、


「おはよー」


少し辛そうな知里の声が。

俺は振り返り


「おはよう」


と、返事をする。

だけど、知里の顔を見た瞬間。

昨日の言葉を思い出し、パッとそらしてしまう。


もし、知里が今でも佐伯さんの事が好きならば……

でも、俺は知里を手放したくない。

だけど……


俺の頭の中でぐるぐると回る。

その考えが頭から離れず、知里にどう接したらいいのかわからなくなっていた。

俺の側で何かを探している音が聞こえたかと思うと


「英治、水貰うね?」

「ん?あぁ。……、しんどいのか?」


俺は知里が手に薬を持っている事に気付く。


さっきも、少し辛そうだったからな……


「しんどいって言うか……。ちょっと頭が痛くて……」


そう言って、知里はキッチンへ向かう。


二日酔いか……


俺もキッチンへ行き、食器棚からグラスを取り出し知里に渡す。


「はい、グラス」

「ありがとう」


知里はグラスを受け取ると、ミネラルウォーターを注ぎ、薬を飲む。

そんな知里を見ながら


「知里、お酒飲めないのに。昨日は飲み過ぎだよ……」


そう言って、俺はため息を吐く。


「何で、あんなに酔うまで飲んだんだよ」

「……飲みたかったから?」


何故、疑問形?


そう思ったが、そこには触れず


「飲みたいって限度があるだろ」


そう言うと


「ごめん……」


知里は謝り、しゅんとする。


「なぁ……」

「ん?」

「何で、“飲みたい”って思ったんだ?」

「えっ?」


俺の質問に知里は慌てる。

そして、


「何で?」


答えるのではなく、聞き返してくる。


「何でって……。いつもほとんど飲まない知里が、あんなにフラフラになるまで飲むなんておかしいだろ」


俺はつい口調がきつくなる。

だって、いつも飲まない知里が“飲みたい”と思った理由と、寝言で佐伯さんを呼んだ事とが関係あるとしか思えないから。


なぁ……

なんで、ちゃんと話してくれないんだよ。

ちゃんと話して、俺の事を“好き”と言ってくれよ。


だけど、知里は黙ったまま。

だから、俺は


「知里さ、何か隠している?」


そう聞いた。


「えっと……、何で?」


その言葉に、やっぱり知里は動揺する。

そして、話そうとしないし、誤魔化そうとする。


「佐伯さんが来てから、様子がおかしいから」


だから、俺ははっきりとそう言う。